くちづけにしてキス

 恵当けいとにわたしの中学時代のことを知られてしまった。


 一番知られたくなかったのは、キスしたこと。


 ううん。

 なんて能動じゃない。


 無理矢理キスされたこと。


 サティのジムノペディを一緒に聴きはしたけれども、やっぱりなんとなく気まずい空気がわたしと恵当の間に流れてる。


 わたしとしてはなんとかこの淀みを解消したい。


 だから、思い切って訊いてみた。


 キス、したい? って。


 ・・・・・・・・・・・・


「お邪魔します」

「あらら。恵当くんじゃないの? 今日はなに? 嶺紗ちゃんと遊ぶのかい?」

「えーと。はい、先生」


 恵当をマンションに呼んだ。

 ピアノ教室もわたしの家の一部と考えれば週一で招いてるわけではあるけれども、マンションの方に恵当が来るのは初めてだ。

 だから祖母も軽く驚いてた。


「嶺紗ー。コーヒー取りにおいでー」

「はーい」


 母親がキッチンからわたしを呼ばわったのでしばし席を外す。


「恵当、ちょっと待っててね」

「うん」


 恵当は明らかに緊張している。

 なにせ、一応は女子の部屋だ。訪うのは多分初めての経験だろう。


 でも、この部屋の造作から、緊張するまでもないことを察してくれると嬉しいのだけれども。

 この古くてちっぽけな分譲マンションのわたしの部屋は、ロフト部分が割り当てられただけなのだから。


「ごめんね、おまたせ」


 わたしにはコーヒー。恵当にはホットココア。それからお茶請けに塩大福という奇跡のコンビネーション。トレーから恵当が正座をする前にトン、トン、と置いて上げると、彼は改めてわたしのをぐるりと見渡した。


「秘密基地みたい」

「へへ。いーでしょ」


 4.5畳のロフトには端っこに布団が畳んで寄せてある。あとは就寝前読書用の照明があるだけ。


「嶺紗。勉強はどこでしてるの?」

「主にキッチンで」

「本はどこ?」

「父さんの書棚に間借りしてる」

「小説の投稿はどこで?」


 ふふん。

 わたしは中腰で頭をぶつけないようにを開けた。


「ここよ」


 ロフトの天窓を開けると、そこが更に屋根裏を削ったようなベランダになっている。

 こっちこっち、と恵当を手招きして2人してベランダに出た。


「わあ」


 今日は12歳らしい素直な反応を見せてくれる彼。2人が腰掛けるとちょうどスペースが埋まる小さなベランダから、月と星が見えた。

 ゴールデンウィークも明日で終わりという子供の日。

 夜風が暖かくて、遠くから獅子舞の囃子を練習する笛や太鼓の音色がその風に乗って流れてくる。


「嶺紗。足がくっついてる」

「? 二足歩行のわたしたちだから足は付いてるけど?」

「ううう。そうじゃなくて、ぴとっ、て嶺紗の太腿が僕の太腿にくっついてる」

「あ。ごめん。嫌だった?」

「嫌、ではないけど。でも」

「恥ずかしい?」

「うん」

「なら、こうだ!」


 わたしは恵当の髪の毛をごしごしと撫でた。恵当はくすぐられた時の、その周辺の筋肉が部分的にこわばって少し痛くなるような、ああいう感覚らしく、びくっ、と首をすくめた。


「れ、嶺紗!?」

「恵当。この間はありがとね」


 暗に南条のわたしに対するから救い上げてくれたことを指し示す。恵当も心得たもので、


「なんのこと」


 としらばっくれてくれた。


 ほんとにほんとに、12歳とは思えないぐらい男らしいよ、恵当。


 うぬぼれるつもりはないけど、一応わたしは女子。しかも恵当の彼女。

 嬉しいはずだよね、多分、という推測と自負でもって恵当に言った。


「キス、したい?」


 首をすくめるだけでなく、恵当が全身をこわばらせるのが、太ももの密着から伝わってきた。わたしは答えをひたすら待つ。多分、1分はたっぷりかかったんじゃないかな。恵当の発した言葉は。


「いい」


 要らない、ってことだね。ならばわたしはその理由を知りたい。わたしの複雑な表情を見て、またも恵当は可愛らしい返答をしてくる。


「恥ずかしいから」


 ああ。

 抱きしめたい。


 その時わたしは気づいたんだ。


 最初は小説の一次資料にするためだけのつもりだったのに。


 どうしてこんなに好きになったんだろう、って。


「目、つぶって」

「え」

「いいから」


 唇には触れなかったけど、わたしは恵当のおでこに口づけた。


 そしたら恵当はやっぱり眉間にシワを寄せて恥ずかしがってね。


 それすらかわいかった。


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