混沌世界へ転生したら最弱武器使いの石像らしい

KuKu

序章

プロローグ〈終わりは始まり》


 一人の男が高らかな笑い声が薄暗い孤城に響いた。

 孤城、ところどころ苔むした暗い煉瓦で構築され、その中央に一つの古びた艷やかな玉座が居座る。

 その前でドス黒い血のような赤の長髪に青白い顔、人間とはかけ離れた容姿がガルモンドという男を形作っていた。人々に魔王と呼ばれ恐れられていた存在。人々は彼のことを醜いと形容する。城には彼以外に生を感じるものはなく自由、すなわち孤独であった。

 しかしながら今、そんな彼の心は満たされていた。

 自分の妨げとなるものが消えたことに対する開放感を彼は言葉に表せない。これで長年の野望を実現することができると、男はただ笑っていた。

 妨げだった者は、もはや彼の声を聞いても何も答えない。何を考えることもなく眼の前にある人をかたどったような石像はただ沈黙していた。

 元は人だった石像、その美しかった淡いワインのような赤髪も今はただの石へと成り代わってしまった。石像は無表情に立ち尽くす。その勇者と呼ばれた少女は石となった今、いよいよ何かを言うこともない。聞こえすらもしないはずの勇者の石像にガルモンドは語りかける。


「勇者ミチカ、貴様は今日より石像と為り、我が下僕として魔物の世界を共に作り上げるのだ。約束どおりであろう?」


 ガルモンドは口を大きく開けて盛大に笑った。鋭い牙がむき出しになる。それでも石像は何も言わない。


 勇者は消えた。


 魔王は勇者を倒し世界を手にする立場を得た。人間の最大の力である勇者が魔物の王たる魔王に破れた。それは世界がにとって世界の終わり、その始まりを示す。そして魔物にとっては人間の世界が終わり、世界の始まりとなる。


――本来ならばそうなるはずだった。

 閉ざされたはずの空間に悪寒を誘う一筋の風が流れ込んで来る。壁際に灯る蒼い炎がになびいた。炎は空間の光を揺らし、ガルモンドは硬直させる。孤城にはいつの間にかもうひとり何者かがいた。


「そうかもしれないね。だけど残念ながらそれよりも優先して、あなたにはやってもらうことがあるの」


 孤独という白紙の空間に寒色の声が彩りを加える。


「なっ。貴様、石像に為ったはずでは……」


 もとより青白い顔をより鮮やかに染め、ガルモンドは眼の前の少女に絶句した。眼の前には服装こそ違うものの、石へと変えたばかりな少女――勇者と呼ばれし者――と瓜二つの人間が立っていた。

 ガルモンドの笑みはつかの間ものとなった。

 少女は荘厳な杖と無駄に大きな一冊の本を携えており、うり二つな顔を除けばそれはある程度違った空気を持ち合わせている。その姿は言い表すならば賢者というのが最も近しく思えた。

 少女はみるみるうちにガルモンドに距離を詰める。たったの今消えたはずの勇者は今目の前で魔王を追い詰めていた。少なくともガルモンドの眼にはそう写っていた。

 勇者の容姿をした少女を恐れたガルモンドは、その差し迫る足を止めようと慌てて手の内に燃え盛る火炎を浮かべた。炎は情熱のような紅さはなく、死んだような青。一度触れれば永遠に燃え盛るかのごとく冷酷な炎だった。

 しかしガルモンドがそれを向けることもないままに、少女が軽く杖を振るうと炎は弱々しく音を立てて消えてしまった。さらには体は鎖で縛られたかのように動かなくなってしまった。

 少女は石像をするりと避けて近づきガルモンドの胸に杖を押し当てる。


「他人の空似というやつよ」

「では一体貴様、何者――」

 

 少女が勇者であるならばガルモンドは諦めがついたというものだ。すべは知れぬものの戦いに負けた、真っ直ぐな彼にとってはただそれだけのことである。残るのは悔みだけだ。

 だが返答は違った。勇者の容姿をした謎の少女は不敵に笑っている。あっという間の出来事に彼の理解は追いつかない。先程まで彼の心を満たしていた感情は訳の分からぬ恐怖に押し出されもはや跡形もない。

 少女はガルモンドの言葉を遮った。


「それより魔王さん、あなたは魔物の世界を作ってどうするつもり?」


 突然の問いかけにガルモンドは困惑し言葉を探す。


「に、人間どもとの無益な争いから我が民を救うまでだ」


 彼はとっさにもかかわらず心の真髄を述べた。相手の気は知れない。だが彼にも譲れないことはあった。良い事を言って命乞いをするつもりは微塵もなかった。しかしその言葉を聞いた少女の今にも獲物を殺す狩人かのような少女の瞳は少しだけ和らぐ。 


「そぅ、根っからの悪者じゃないのね」


 それでも勇者との多少の差異であった目付きの悪さは変わらず、不敵な笑いと互いに強調しあってガルモンドの精神は追い詰められていった。


「目覚めたらまずは動く石像と半魔の子を探しなさい。それじゃあ一〇〇年くらい眠っていてね」


 名すら名乗らぬ少女が杖を一突きする。ガルモンドは何が起きたかも理解することなかった。彼の意識は、体が融けていくかのような苦痛を感じながらどこか深い闇へと消えていった。ただその時、この無感情のようなSっ気がたまらない、そんなことを隠れ変態な魔王は思っていた。

 

 そこには勇者と同じように石像となったガルモンドの姿が残った。石像と為った彼の姿は醜い魔物ではなく、人間のようだった。そんなことを知ることもなく眠ったガルモンドの驚きと恐怖に彩られた表情にはどこか不気味な様子が残っていた。


「安心して。あなたが勇者に掛けた呪いと違って時が来たらその石の姿からは開放されるから。……えっと、竜の片割かたわれはこちらの手駒になった。次は勇者」


 少女は優しげにつぶやいたあと、言葉を急に固くし後を振り向く。杖を持ったまま石の勇者にむかってその華奢な手をそっと当てた。


「あれ。魂がない? いや、そぅ。ずっと遠くにあるね……。あなたには悪いけれど少しこっちに来てもらうよ」


 石像が微かに柔らかな光りに包まれる。薄曇りのように石の勇者を包み込んだ光の粒は石の体に染み渡るかのように石像へと吸い込まれていった。

 光が落ち着いたかと思うと地面に杖を突き刺す。地面は硬い石から不思議な光となり杖を無抵抗に受け入れた。少女は手に持った分厚い本を徐に開いた。


「やっぱり半魔の子はあと八〇年以上はかかるっと」


 ページにはおぼろげな金髪の少女の絵と、びっしりと詰められた文字が刻まれている。縁に所々破れ目のあるそのページを少女はゆっくりとめくった。次のページには凍りつく大きな大きな一つの国と、そこに住まうかのような抜け殻のような人々、その空を羽ばたく紺碧の巨竜の姿があった。


「もう一つの竜の片割が目覚めるのはあと七十年ってところ? もうちょっと時代が離れてなければやりやすいのに……」


 少女は本を閉じて玉座の間の出口へと歩む。


「あとは行方知れずの災厄・・の魂……。今できる準備はこのくらいね。……私もそろそろ眠りにつくころ……かな」


 突き刺さった杖を起点に少女の足元に巨大な魔法陣が現れる。複雑な記号の数々には一つとして同じものがない。いくつもの計算されたように組み合わさる線は記号を取り囲み、不気味に光を放っている。少女がそのうえを一歩歩むごとに、彼女の体は足先から崩れ去っていった。あるいは蒸発するかのように消えていった。そして石像二つもまたこの場から消えてゆく。ただ城の中には青い炎だけが取り残される。


「神様って残酷ね……」


 残像の少女の小さな笑いが薄暗い孤城に響いた。

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