ヨミキリ小説

ワタリヅキ

『予定の喫茶店』

 出張先で少しばかり空いた時間が出来たので、コーヒーでも飲んで時間を潰そうかと思ったが、田舎だからだろうか、駅の周辺に喫茶店は見当たらなかった。

 仕方なく次の訪問先の会社まで歩いていると、古びた西洋風の喫茶店が目に入った。民家の間で、その店だけ一軒ぽつんと浮いた存在だった。

 ちょうどいいやと思ってその店の扉を開ける。カランコロン、と扉に付けられた鈴が鳴った。

「いらっしゃい」

 中年のマスターの声がする。平日の昼間だからだろうか、店内に客はいない様だった。

 テーブル席に腰を下ろすと、マスターがお冷を持ってきた。

「ホットコーヒーを。疲れたので、濃いめのブラックで」

「かしこまりました」

 オーダー票に注文を書き込んで、マスターがカウンターへと戻って行く。

「それにしても、この辺りはお店が少ないですね。喫茶店に入ろうと思っても、駅の近くには無かったですし」

 そう言うと、マスターはゆっくりと二度頷き、

「ええ、そうなんです。街を歩く人も少ないですからね。それで、私もここで喫茶店を始めようかなと思ってるんですよ」

 と言った。

 彼の言い方には少し気になる所があった。もうすでに喫茶店を営んでいるのだから、始めようと思っているのではなく、始めたんですよと言うのが普通ではないだろうか。しかし、あまり細かい事を指摘するのも気が引けたので、「そうなんですね」としか返さなかった。

 それから5分が過ぎ、10分が過ぎてもコーヒーは出てこなかった。本格的なコーヒーを作っているのかとも思ったが、カウンターを見てもマスターはのんびりとした様子でラジオを聞いているだけだった。何かの作業をしている訳でもない。

「あの」思い切って僕は言う。「コーヒーはまだですか?」

 すると、彼は驚いた顔をして、「えっ、まだ出せませんよ」と言った。

 まだ出せない? 意味がわからずぽかんとしていると、「だって、このお店、まだ始まってないのですから」と彼は言う。

 僕は驚いて「どういう事ですか? ここは喫茶店じゃないんですか?」と聞くと、

「喫茶店、の予定のお店です。ほら、外の看板を御覧なさい」

 と彼は言った。慌てて店の外へ出てみると、看板には『喫茶店』と書かれている隣に、小さく(予定)とあった。ここは喫茶店の予定のお店だったのだ。

 僕は納得がいかず、もう一度店の中へ戻り、「確かに、看板には予定と入っていました。でも、ちょっと待ってください。僕は店に入ってホットコーヒーを注文しました。そして、あなたはかしこまりましたと言った。あの注文のやりとりは何だったんですか」と訊ねる。

「あれは注文の予定を受付したのです。でもあくまで予定ですから、今はまだ出せません」

 僕は呆れて大きくため息をつく。「意味がわからないな」

「でも、大丈夫です。あなたの注文は、ほら、ちゃんとメニュー表に追加してありますよ。注文は無駄にはなりません」

 メニューには確かに、『疲れた時の濃いめのホットコーヒー』と書かれていた。いやいや、今、コーヒーが出て来なければ意味がないじゃないか。そう思ったが、口に出すのも馬鹿らしくなって言うのをやめた。

「わかりました。そういう事なら僕はもう帰ります。喫茶店ごっこに付き合っている暇はないんでね」

「でも、あなたは時間が出来たからここに来たのではないのですか?」

「いや、確かに暇だったけれど、僕は今コーヒーが飲みたくて来たんです。ただ時間を潰しに来たんじゃないんですよ。まあ、結果的に時間は潰れましたけどね」

 僕は時計を見る。次の予定までちょうど良い時間となっていた。本当に無駄な時間を過ごしてしまったものだ。

「おやおや、そうでしたか。それは失礼いたしました。また、ぜひ来てください。次に来られた時には、喫茶店が始まっているかもしれません」

 おやおや、そうでしたかじゃないんだよ、と思ったけれども、言うのも面倒くさくなって、「ああ、またこっちの方に来たらね」と適当に返事をした。勿論、本当は二度と来るつもりなんてない。

 店を出ようとして、「あ、そうだ。お会計……と思ったけど、結局何も出てきてないから、払わなくて良いんだな」と一応確認する。

「お会計は400円、の予定です」とマスターが言った。

 僕はふっと笑ってしまう。「本当、おかしな店だな」

「予定の喫茶店ですから」と彼は言い、ゆっくりと頭を下げた。


 取引先へと歩いていく途中、メニュー表に手書きで書かれた『疲れた時の濃いめのホットコーヒー』の文字が妙に頭から離れなかった。不満ではあったけれど、結果的に時間を無駄にしただけで何か損をした訳でもない。案外、コーヒーを飲むよりもリフレッシュになったかもしれない。取引先で、こんな変な喫茶店があったんですよ、なんて話題の一つにもなる。

 さっきまでもう二度と行かないと思っていたけれど、帰りにもう一度寄ってみようかなと思う。次は、どんな注文の予定をしておこうか。

《了》

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