恐怖と希望

アリスの悪い予感は的中しており、火守家に侵入したのは魔王崇拝教幹部オルガが潜伏しているであろう拠点を血眼になって探している2人組の男達であった。


名を『ギブネット』、『バーステット』といい、セラフィリアスでは少しばかり名の通った双子の賞金稼ぎであった。


拠点をなかなか見つけられず功を焦った彼らは、以前からマークしていた火守の血を利用する事を決め、灯音の護衛についていた担当者達の隙を突いて昏倒させ、音も立てずに灯音の部屋へと押し入った。


不幸中の幸いは、灯音に危害を加える事なく、彼女を眠らせ連れ去った事だろう。


オルガや魔物を誘き寄せる餌として利用するだけなら、最悪、灯音の状態は関係ないのだ。


それこそ、生きているかどうかさえ。


その点でいえば、アリスを連れ去った2人はまだ良心的だったかもしれない。


彼らが移動した先は、盾上町の北にある、湖に面した遮蔽物のない広場であった。


その湖は盾上町の中でも外れにあり、周囲に民家がなく、夜になると人気ひとけも全くない為、オルガ達を誘き寄せて戦うには絶好の場所であった。


更に、魔獣、黒炎猟犬グレゴリアは炎を操るので、湖が傍にあればその攻撃や行動を制限できる。


双子の兄であるギブネットは既に勝ったつもりでほくそ笑む。


弟のバーステットは兄より些か慎重である分、不安な表情を浮かべていが、ギブネットが立てた計画に口を挟むつもりはなく、黙々と誘き寄せる準備を行っていた。


ギブネット達は湖岸付近に陣取っており、傍らにあるベンチには灯音が寝かしつけられている。


彼女の右腕には薄く切った跡があり、血が少しだけ滲んでいた。


「兄貴、準備できたぞ。」


「よっしゃ!よくやった、バース!」


ギブネットは、広場内に様々な罠を仕掛けて戻ってきた弟を褒めると、自ら最後の仕上げに取りかかった。


「それでは、奴らをパーティー会場へとご招待しようか!」


彼はポケットから名刺サイズの紙を一枚取り出す。


その紙には魔方陣が印されており、破り捨てる事で、魔方を行使できるという使い切りの魔法具であった。


例によって、ギブネットは紙を破り魔法を行使する。


紙は破り捨てられると同時に淡い光となって空気中に霧散し、直後に細やかな風が吹いた。


その風こそ、紙に印されていた魔法であり、匂いや煙、声などを広域に拡散させ運ぶ『妖精の囁き』という魔法であった。


注意換気などの伝達から、毒の散布といった攻撃にまで幅広く使用できる魔法であり、今回は灯音の血の匂いを拡散させ、オルガ達を誘き寄せるつもりであった。


「後はまんまと誘われた幹部どもを罠でズドンとすれば完了だ。」


ギブネットは軽い口調で、弟のバーステットへ話し掛ける。


「そう上手くいけば良いが・・・」


慎重派である弟は不安を漏らしたが、楽観的な兄は気にする事なく、のびのびとした態度で受け答えた。


「今まで上手くいってたし、今回だって上手くいくって。

まあ、もし奴らが現れなかったら、もう一度探し回って、他の連中との戦闘中に乱入して横取りすれば良いしな。」


「現れた場合は?」


「それこそ上手くいった、だ。罠も湖もある。『とっておき』もある。敗ける要素がない。」


ギブネットは自信満々に答える。


セラフィリアスの賞金稼ぎとして中堅に位置する彼らは、自分達の実力が今一つ評価されていない事に不満を持っていた。


更に、近年になると若手が次々と台頭し始め、自分達の背後へと迫ってきている事に焦りを感じていた。


このままでは仕事の依頼が減り、いずれ廃業となるかもしれない。


そうギブネット達が危機感を持った矢先、別の依頼で日本に滞在している時の事であった。


セラフィリアス王政府からの緊急招集と、魔王崇拝教幹部の捕縛依頼が出たのは。


彼らにとって今回の依頼はチャンスであった。


上手くいけば、魔界の門の開門を阻止した英雄としてセラフィリアスどころかクリシュナ全土に名を轟かす事ができ、また、莫大な報償金も手に入れられるのだ。


「さあ、こい魔物ども!賞金は俺らのだ!」


欲望に目が眩んだギブネットの声が公園内に響き渡る。


その声に反応したかは定かでないがーー


遠くの山手側で、突如として紫色の巨大な光柱が出現した。


「っ!?」


それは一瞬の事で、光柱はすぐに消え去ったが、ギブネット達の動揺は治まらない。


「今の光柱・・・魔力を帯びてたよな?もしかして、あそこに奴らの拠点があって、戦闘が始まったのか・・・?」


ギブネットは、少しばかり悩んだ挙げ句、幹部の捕縛作戦に参加している他の同業者達に連絡を試みた。


が、繋がらない。


「兄貴・・・嫌な気配がする。」


周囲に探知の魔法を張り巡らしていた弟のバーステットは身震いし、周囲を警戒し始めた。


「やっぱりさっきの光柱は戦闘によるものだったかもな。

チッ、出遅れた。既に戦ってんなら火守の血とこの場はもう必要ねえ。バース、乱入しに行くぞ!」


出遅れたかもしれないという焦燥感で頭がいっぱいになっているギブネットに、バーステットの言葉は届かず、彼はいち早く挽回しようと公園の外へ向かって走り出す。


その時、バーステットは視界の端に蠢く無数の影を捉えた。


満天の星空の下、星明かりに照らされた影はみるみる正体を晒していく。


それは錆びだらけの鎧を纏ったゴブリン達であった。


息を潜めながら、しかし、目は爛々と獲物ギブネットを見据え、様々な錆びた武器を手に握りしめている。


その数、およそ30。


そして、ゴブリン達は徐々にギブネットへと迫っていた。


「兄貴、待て!ゴブリン達が近付いてくる!」


バーステットは遠ざかる兄の背に向かって、緊迫した声で警告する。


「ああ!?何してんーー」


しかし、戦闘に出遅れて苛立っている彼には、最期までバーステットの言葉が届かなかった。


そして、まだ走り出していない弟への叱責の言葉も最後まで続かなかった。


「ゴボッ・・・」


ゴブリン達の中から放たれた錆びた投げ槍がギブネットの胸へと突き刺さったのだ。


彼もそれなりの対物・対魔防具に身を包んでいたが、それでもゴブリンの異常な脊力から放たれた死の一投の前では紙も同然であった。


叱責の言葉の代わりに血を吐き、彼はその場に崩れ落ちる。


「兄貴に何しやがるんだあああ!」


この時、バーステットがいつも通り冷静に対応していれば、まだゴブリン達から逃れ、この場から脱する事ができていたかもしれない。


しかし、今まで常に傍にいた兄が地に伏せた姿を見た彼には、いつも通り冷静に振る舞う事など頭の片隅にさえ一切なかった。


バーステットは腰に備えた己の得物である日本刀を鞘から引き抜くと、そのままゴブリン達へと斬りかかっていく。


突出していた先頭の数匹の首、または腕を斬り落とし、勢い付いたバーステットであったが、多勢に無勢のことわりから外れる事ができず、更に数匹を斬り倒したところで、日本刀を構え直す瞬間を狙われ、右腕ごと刀を斬り飛ばされた。


「兄貴。俺も今から行ーー」


得物と利き腕を喪った彼はもはやどうする事もできず最期の言葉を発しながら、錆びた短剣によって切り捨てられた。


「あ・・・あ、あ・・・。」


そんなバーステットの最期を、ギブネットの死により眠りの魔法が解けた灯音は目撃していた。


最初は悪夢かと思った。


しかし、次第に頭が覚醒していくにつれ、否が応にも現実の事だと認めなければいけなくなった。


「ひぐっ、う・・・」


強烈な吐き気と恐怖が灯音を襲う。


人間が、しかも無残に殺されるのを見るのは初めてであり、その上、手を下したのは以前遭遇した、緑色の肌をした醜悪な化け物達である。


ゴブリン達は次の獲物、むしろ本来の目的はお前だというように、山羊のような眼を爛々と輝かせ、一歩、また一歩と灯音へと歩を進める。


ー ドォン! ー


ゴブリン達が公園内に足を踏み入れた瞬間、バーステットが設置した罠が作動し、数匹が吹き飛んだ。


ー グシャッ! ー


または、地面から突然、槍状の岩が無数に突き上がり、数匹を串刺しにする。


だがーー


それでもゴブリン達は歩みを止めず、罠にかかった同類ゴブリンの死体を踏み越えながら灯音へと迫り歩く。


彼女はベンチからずり落ちた。


足の震えは止まらず、その場から立ち上がる事もできない。


「助け・・・」


恐怖で顔が強張り、消え入りそうな声で助けを呼ぶが、当然誰の耳にも届かない。


それでも彼女は助けを呼ぶ。


「助けて・・・」


絶望と同時に希望も抱いているから。


灯音は信じている。


連れ去られる前に会話していた、電話の向こうにいた人物達を。


そして


「助けて、雪城君!」


彼女はあらん限りの力を振り絞って、満天の星空の下、友達の名を叫んだ。


その声は当然ーー


届いた。


ゴブリン達が数メートル先にまで差し迫った時、一陣の風が吹く。


凍てつくような激しい風であった。


灯音は冷たい風特有の鋭い痛みを顔に受け、こんな状況においてでさえ、とっさに腕で顔を覆い目を閉じてしまった。


風が吹き終わった後、腕を解き目を開けた彼女は、目の前の3つの存在を認識した。


「待たせてしまい申し訳ありません。先輩。もう大丈夫です。」


3名のうち、1名が背中越しに灯音へ声を掛ける。


力強く優しい声。


身に纏うは白を基調とした鎧。


左腕に白銀の騎士盾を通し。


腰には柄を藍白あいしろに彩られた片手半剣を帯びる。


その剣や盾、鎧は全てまがい物。


実力も遠く及ばない。


この場にセラフィリアスの騎士達がいれば、嘲笑の的になる事は必至だろう。


だが、それでも白騎士もどき、優太は威風堂々と立つ。


たとえ見かけが『もどき』であろうとも、大切な者を守りたいという気持ちは紛い物なんかじゃないとでもいうように。

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