5月8日(土) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・オーケストラ等練習場で「クレイジークラシックス 10周年記念公演」を聴く。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・オーケストラ等練習場で「クレイジークラシックス 10周年記念公演」を聴く。


チェロ:マーティン・スタンツェライト

クラリネット:橋本眞介

ヴァイオリン:川畑美津代

コントラバス:飛田勇治

トロンボーン:清澄貴之

パーカッション:荻原里香

ナビゲーター:末永幸子


パッヘルベル:クレイジーカノン

フライラッハ:クレズマー

ガーシュウィン:アイラブユーポーギー

人○手術

ピアソラ:タンゴの歴史より Café1930

チャイコフスキー:Overture1812

クレイジー・シンデレラ


生真面目で融通の利かない形式主義が昔はあった。クラシック音楽に笑いや演出はいらないから、誠実で信実な音楽が聴きたい。そんな考えを持ったのはきっと枠に縛られてのことで、すこしでも聴き親しんでいけば、幅の広い音楽を楽しめるのだろう。


そう思って「クレイジークラシックス 10周年記念公演」を聴きに行った。厳密に言えば延期を含めて11周年らしいのだが、生まれた赤ん坊もやんちゃを通り過ぎて思春期に向かう年頃なので、昨日今日生まれた新しさよりも、年数が示す説得力があった。なにせプロの音楽家が演奏するのだ。そこまで行き着くには才能だけでなく、一つに特化した偏重と集中力があり、どこを選んでも事を成す豊かな才能と芸達者も備わっている。


モノクロのユーチューブ動画で一度しか観たことないのだが、公演の始まりはハナ肇とクレージーキャッツを想起させる音楽を含めたコントのようで、確かな技量を持った演奏家のユーモアが並んで入れ替わる姿に、演奏が上手だからこそ許される緩さがあった。


来る前からリラックスしていたのは正しかったらしく、落語に接するように弛緩していた。なんといっても音楽家のプロという肩書きがあるので、橋本さんのクラリネットが軽快で強烈な音色を吹き散らすと、音楽は一気に観客を飲み込んで楽しい気分にさせる。ジャズのような奏法はクラシック音楽ではあまり耳にしないというよりも、濃淡はっきりした質の高い音色は圧倒的な勢いを持ち、学生の音楽演劇ではなく、やはりプロとしての基本があるので、演出にしても演奏にしても、冗談が含まれようと手抜きのない目線があり、とにかく音楽性は文句なしに高い。


すると飛田さんが肉厚のやけに色っぽい看護師姿で登場して、板に付いた声音と動作で愛らしく振る舞っている。おそらく、これは多分だが、クレイジークラシックスを聴き知っている人には平常なのだろう。しかし数年前の室内楽で食についての見識を披露したことのあるこの方の大きさを考えれば、なんら不思議な姿ではなく、役者としても間違いなく存在感を発揮する目鼻立ちを含めた人物像は、おかしいのだが、何もおかしくはない。そこでRCCラジオの竹輪笛を思い出させる人参の工作が橋本さんによって行われれば、あまりの手の込み具合に、上質な人はどんな趣味を持っても、時に変態と呼ばれてもしかたない極端な嗜好と結果が現れることを思い出させてくれる。


とはいえトロンボーンとマリンバの二重奏にイタリア映画のような情景に浸らせてもらえれば、チェロとヴァイオリンにピアソラのリズムと奏法で誠実な異国情緒も満足にいただける。


それから小道具と小ネタの含んだチャイコフスキーを末永さんのナビと変装も含めて味わえば、前半だけでも楽しいのみならず、音楽のレベルによる自由な発想を存分に笑えた気分になる。


後半のクレイジーシンデレラになると、劇性と諧謔性はより一層と増して、音楽の視点よりも、演劇と演出の質をなぜか音楽家に観てしまう。飛田さんはもはや何も言うことのない性格が出来上がっており、恥じらいなどはるか昔に消え去った完成度があり、甘い声の大きさや手つきだけでなく、ちょっとした動作があまりに馴染んでいて、愛らしいだけでなく、非常に頼りになる女っぷりとなっていた。


広島に来る前からNHK出版で知っていたこの方は、その文体と内容でも多方面への関心を伺い知ることはできたが、赤毛の女性がなんとも素敵になっていた。特に目の動きが際立っており、我儘はそのまま野性的なほどの口の開き方と本能らしい表情に現れており、そのリズムはなぜか、ブレヒトを有する演劇の国ドイツの伝統が宿っていると感じるほどだった。


そして女の子らしい自然な表情と動きの川畑さんは下地のままの愛らしさで、オーケストラでは常に最前列にいることを裏付ける腕前は堂々たるものだった。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の弾きっぷりはさすがで、ここで演奏が乏しければ劇の説得力は落ちてしまうだろう。


自然な感じがやけにシュールで、打楽器奏者らしく寡黙に下支えしていた荻原さんも打音の鮮明な音色で様々な楽器の背景をなし、魔女としてはやけに親しみやすい感じがなんともいえない味を出していた。


真面目な風貌ながら金管の遠い景色を浮かばせる音色だけでなく、リンゴへ顔を向ける姿がやけに劇的な旨味を持ち、眠っている間の放ったらかしにされる感じなど良い位置を占めていた清澄さんは、実に指揮者らしい演技を安定してみせていた。


そして男前の王子である橋本さんは、二枚目ながら三枚目の演技がしっくりしているものの、マーラーの曲で登場して素晴らしいユダヤのクラリネットを聴かせてくれるだけでなく、劇的な演出の面白さが鏡を使った蛙の交代もあり、それからの動作もケロケロしていて、この人も独特な雰囲気を持っていると並々ならない存在感を発揮していた。


初めて足を運んだ「クレイジークラシックス」は想像していたよりも遙かに楽しく、遊び心が満載に詰め込まれていて、素人だからといって見過ごせない演技力の味わいがあり、演出のつぼを持ち、なんといっても、プロの音楽家だからこそのアレンジ力が魅力一杯に配置されていた。知っている物もあれば知らない曲もあり、どちらであっても楽しめる内容に組まれているのだが、やはり音楽を詳しく知っている人達だからこそ心を突いてくる選曲と構成があるだろう。そして音楽家はリズムと間の達人だからこそ、演劇要素として見せる時間を知っており、舞台進行においてアマチュアらしからぬ悠揚とした時の流れがあるのだろう。


初めて観たからこその新鮮な感動が今に満ちていて、おそらく、次に観ても楽しめることは疑いない。それは普段の音楽会ではなかなか聴けない、アンコールで演奏されたユダヤ的な狂騒とリズムの前走による輪のようなニュアンスがあり、あれだけ古代の民族らしいクラリネットが騒ぎ、分厚いまでのチェロやコントラバスがメロディーを響かせ、ヴァイオリンが蠱惑的な旋法を演奏するからだ。


つまるところ音楽が命なのだろう。シンデレラのアレンジはそのままクラシックの名曲の細かな編曲と通じていて、諧謔や演出で音は濁ることなく、むしろ音楽そのものの新たな発見として様々な表現や和音の違いを聴くことができる。それこそ漢字が言う通りの音楽で、その時々の演奏家の音色の違いだけでなく、重ね合わされる楽器の差によっても音の表情は無限に変化する。


などと大げさに考えてしまうが、純粋に楽しめる幅広さを「クレイジークラシックス」は特別に公演していた。とても有り難いことだ。

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