4月25日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイングマール・ベルイマン監督の「沈黙」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイングマール・ベルイマン監督の「沈黙」を観る。


1963年 スウェーデン 96分 白黒 Blu-ray 日本語字幕


監督・脚本:イングマール・ベルイマン

撮影:スベン・ニクビスト

美術:P・A・ルンドグレン

出演:イングリッド・チューリン、グンネル・リンドブロム、ヨルゲン・リンドストロム


昨日の作品の大きさに比べれば約1時間半の映画は短いものだと侮っていたが、長距離移動でも感じたことがあるように、約2時間のバス移動が非常に長く感じる時もある。ある区間を越えると、8時間も12時間も五十歩百歩としてそれほど変わらない長さになる。


とはいえ今日の作品は時間を長く引き延ばして感じさせる内容となっていた。「沈黙」という名の通り、声は少なく息苦しい展開が続いていく。冒頭の客車内の暑苦しさが先を提示するように、作品には我慢ならない空気が充満しており、言葉の少ない静けさだからこそ息詰まる画面が連続していく。


説明を与えない無口だけでなく、画面も物語の手がかりをつかませる要素が極めて少なく、登場人物の行動と目線の意味がほとんど解せない。わからない、という感想が最も率直なものとなって目と頭を占めるなかで、昨日からの座り疲れが響くように足を交差したり、背中をもたれて落としたり、スクリーンにのめりこむことなくモノクロの静寂とうるささを感じていると、沈黙という言葉には、制限という意味が含まれていると考えてしまう。喋ったり動いたりする動物本能の動作を制御されると、じっとしていたり黙っていたりするのはとても負担のかかる行為だと気づかされる。昨日の上映時間の長さと日常のだんまりが連想されると、映画の登場人物の行動もどことなくわかってくるようだ。言葉の通じない町のわずかな滞在の間に触れ合うのは別の言葉を持った人ばかりで、同じ言語とルーツを持つ肉親同士は会話をわずかにするばかりで心を寄せ合わせず、話をする時は真偽の入り乱れる感情的な口論が先走り、人と人のコミュニケーションの意味を疑わせる。話が通じるから理解し合えるのではなく、基本の言語が通わない者だからこそ言葉を頼りにせずに同調できるのか。どちらも正しく、どちらも間違いだろう。


連日観ているイングマール・ベルイマン監督の通底する要素として、真実と偽りがここでも内包されている。映画に散りばめられている現象としての演技には多くのメタファーが散文されているようで、姉と妹の関係には心だけでない肉体の要望も関わり、それらは街の見知らぬ男やホテルマンにも波及していて、子供の目線で多くを開示しているようでもある。そしてベルイマン監督の劇的な扱いとして小人が数人登場して、仮装して劇とお喋りをするのだが、これら戯画的な人物だけが“オイガ”と叱り、スペイン語らしい言葉をお喋りして、この沈黙の映画の中で愉快で不気味な諧謔となっている。


謎ばかり深まる物語の中で、やはり作品の評価と立ち位置を大きく決める劇的な演技とシークエンスがあり、姉妹の喧嘩のあとの叫びと性交渉のシーンや、死を恐れてベッドで声をあげてのたくる場面などは、強烈な情操を突いてくる。


語ることが少ない分だけ物語がないわけではなく、その重苦しさの分だけ大切な要素が多く内在しているように思わせられる。しかし、わからないのが本音で、何もないところに多くの意味を見出すそうとする自分自身の虚偽ばかり膨れ上がるように、どうも不穏でしかたないが、基本の美意識の中で対立関係は扱われていて、とらえどころのないベルイマン監督の深層にある芸術志向と世界への関心を伺えさせられる映画となっていた。

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