4月11日(日) 広島市中区大手町にあるLギャラリーで「鄧婧 個展『春芽吹く』」を観る。

広島市中区大手町にあるLギャラリーで「鄧婧 個展『春芽吹く』」を観る。


Lギャラリーさんが開いているというので足を運んだ。


作家の人種や国籍だけで固定観念をつい持ってしまう。ルーツから逃れられない遺伝的表現もないことはないので一概にそれは間違っているとはいえないのだが、つい関連づけようとしてしまう。鄧婧さんが中国出身で日本の古典作品の模写をしていれば、中国を経由した仏教文化の起源を考えてしまう。その土地で生まれ育った人が我が町を知らないことは多々あることで、移住者だからこその客観的な視点で文化を掘り出すこともある。そんな事を考えたが、あまり関係ないことだ。


模写と本人の画風の二種類が展示されていて、あまり時間をかけずに観たので表面わずかにしか目は置けなかったが、素朴な印象を受けた。細密極まる模写はもっと時間をかけて観るべきで、素材の使われ方を含めた絵は鄧婧さんの話が必要だと思った。それでもオーナーさんから話を聞くと、その当時使用された画材は顔料の一つでも手に入れるのに予算はかかり、古い日本の生地も植物の繊維が残っていて、文章と違って絵を含めた芸術作品を作るのは、まず材料に対しての慎重な選択があると大変さに気づかされる。また実物の作品が持つ経年の肌合いも模写するらしく、いかにして自然な調子を作るかは、想像を絶する根気が必要だろうと目を細めるばかりだった。


どんな仕事も地道な作業の連続の結果だとしても、制作年数と絵の第一印象は素人には一致しない。表面の印象から目を凝らしていくと、平面性のなかに遠近法によらない空気のレイアーが存在しているようで、岩絵具の質量によるマチエールよりも、重ねられた絵具の配合によって奥行きがあるみたいだ。


サボテンの肉感や葉の色合いなど、質感が細かに存在している。模写はあまりにも作品が立っているのに比べて、鄧婧さんらしい個人的な画風は植物を対象に置いているので、見えないながら画家の人物像が浮かぶようだった。


個人的にはかぼちゃの絵がとても良く、雨乞いの象も自然の中の存在をやすらかに感じて、植物を観る心が伝わる作品群だった。

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