3月7日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで長谷川安人監督の「十七人の忍者」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで長谷川安人監督の「十七人の忍者」を観る。


1963年(昭和38年) 東映(京都) 99分 モノクロ 35mm


監督 : 長谷川安人

脚本 : 池上金男

音楽 : 鏑木創

撮影 : 鷲尾元也

美術 : 富田治郎

照明 : 増田悦章

録音 : 藤本尚武

編集 : 堀池幸三

出演:里見浩太郎、近衛十四郎、三島ゆり子、大友柳太朗、東千代之介、花沢徳衛、加賀邦男、品川隆二、和崎俊哉、尾形伸之介、五里兵太郎、名護屋一


作品名だけでいくらでも先入観を持たせてくれるこの映画は、二番煎じだけでなく、パロディーとして侍映画のイメージ崩れをいくらでも引き起こしてくれそうだった。なにせ、二桁いる忍者だ。


ところが映画は冒頭から一貫している。言葉遣いも含めてやや聴き取りづらいのも侍映画の真似かと思うが、構図はしっかりしている。編集も細かいところまで細工されていて、品がないことはない。十七人の忍者をわざわざ集めるような前置きはなく、むしろ早い段階で半分に減ってしまい、それぞれの人物像に焦点があたることもない。


作品名は似ているが、これはまぎれもなく忍びの映画なのだと途中から気づいた。忍者らしい軽業や忍法が披露されることなく、謀反連判状を奪う使命として隠密に動くのだが、あっけなく見つかり、むしろどうしてこれほどあからさまに犬死するのかと思ってしまう。対するのは同じ忍者の根来だが、こちらは一人仕切って侍どもを動員し、伊賀の忍者を易々と殺していく。物語運びは逆転できる要素が見えず、絶望なまでに牙城は高くなっている。


しかしやや疑問を持たずにはいられない展開ながら伊賀の忍者は勝利する。物語としてはただそれだけだが、この映画は対立する忍びの組頭がどちらもアクが濃くて良い。里見浩太郎さんの凛々しく眼孔の鋭い面立ちと、荒ぶる近衛十四郎さんの険しい顔の対峙が面白く、歌舞伎らしい派手好みの中で存在感の弱い忍びが何とかして目的の物を奪うのだが、とにかくこの二人の存在が目立っている。


変わり身をしたり蛙を口寄せしたりしないからこそ忍者で、命令に従って命を捨てる人間ではない影の存在だからこそ、決して口は割らず、仲間を思って見殺しにするところが描かれており、表面上のチャンバラよりもそれぞれの心の内を観る内容となっている。それでもラストに近いクライマックスでは、手裏剣も投げられ、興奮する戦いは披露される。


上映時間は約一時間半と長くない中に、忍びの悲哀が込められている。堀での息詰まるシークエンスなど見所も強くあり、ただの真似事映画ではなく、その数を忍びなく減らしていくところにこの映画の本質があるのだろう。

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