2月23日(火) 広島市中区八丁堀にある立ち呑み店「そらや」で立つ。

広島市中区八丁堀にある立ち呑み店「そらや」で立つ。


もはやベンチに座って書くことはないだろうか。外は寒いというのが一番の理由だとしても今は、立ち呑み店で立つ、という文句で文章を書いてしまう。


山陰東郷の熱燗とまぐろのなめろうを注文する。ふと自分を振り返れば、昨年の春先からのコロナウィルスの影響を開始として、酒の飲める店に足を運ぶようになった。もともとブラックニッカやトリスだけでなく、ホワイトリカーを小瓶に詰め、カフェで隠れてちびちび飲むという反則行為をしていたから、コロナのせいで酒が増えたとは言えない。むしろコロナのおかげで美味しい酒と肴を求めるようになっただろう。贅沢な悩みを与えられてしまったものだ。


ニュースや周りの話を聞いていると、どれほど生活に影響が出ているかと頻繁に聞く。飲食店を含めた収入に関する話題は当然として理解できるが、リモートワークによるストレスや体重の増減などは時に首をひねることもある。つい自分の価値観ですべての物事をはかってしまう傾向があるから、こんな時にいかに他人に対しての同情と配慮が偽りのものかと知ることになる。


一体何を書いているのだろうか。


たっぷりのまぐろのなめろうをけちけちすることなく、山陰東郷でぐいぐい飲んで食べ進める。


間違いなく言えるのは、コロナウィルスによる制限のおかげで、自分に対して課しているやるべき事に向く意識が強まったことだろう。映画音楽落語演劇食事に酒飲みと、目の前の欲望に飛びつけるだけ飛びつく悪くない日々ではあっても、自分は小説を書き、そこで評価されたいのだ。そして、そこに時間をあまり注いでいないのだ。


それでも作品はわずかながら生まれている。以前は自分の書いた小説に自信がなかったのだろう、とてもじゃないが読んでもらいたいと思いきることはできなかったが、今は多くの人に読んでもらいたいという渇望が湧いている。もちろん、そのためには肩書が手っ取り早い広告となり、それだけの質を示さないといけない。


正直いえばコロナウィルスがあろうがなかろうがまるで変わらず、そもそも些細な変化によってころころ変わる体質だから、揺れようが固定されようが、決して根本は変わらない。ただすこしばかり、動きが違ってくるだけだ。


10分で飲んで食べて店を出る。リモートによって人は喋る人を欲するらしいが、常に自身に喋っている自分は、他の人ほど他人との会話を必要としないのだろう。


それでも家庭があるから随分と潤っている。けれどそれがなかったら、おそらくさらに愚痴愚痴と書くだけになる。それがすこしでも作品として小説に結晶されれば、実りある人生として苦悩も喜びも一緒にかけがえのない時間となるだろう。


小説を書いて、読んでもらいたい。そんな欲求をいちいちひけらかして、酒と肴にあたった「そらや」さんでの寸暇の喜びだ。

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