2月17日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでマーヤ・アブドゥル=マラク監督の「たむろする男たち」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでマーヤ・アブドゥル=マラク監督の「たむろする男たち」を観る。


2015年 フランス、レバノン 55分 カラー Blu-ray 日本語字幕・英語字幕


監督:マーヤ・アブドゥル=マラク


今月の山形国際ドキュメンタリー映画祭はアジア千波万波という優秀作品上映会として中東ドキュメンタリー特集となっている。一度でもイスラム文化の根付く土地を旅行した者なら独特な国民性に強く刺激され、苦労し、嫌気がさし、二度と訪れたくないと思う瞬間を持つものだが、あとあと呪術のように魅了されて、子音が逞しく美しいアラビア語を聞きたくなるものだ。


今日はその音律を求めて観に来たら、たしかにアラビア語は話されているのだが映画の雰囲気と街角の景色は紛れもなくフランスではなく、パリを基本としている。SIMカードの抜き挿しという携帯電話の文化は日本にも馴染んできたが、外国は早くからその方式によって店が展開されており、すこし前の日本も携帯ショップは多くあったが、西洋や中東はその店の数でCDやタバコなんかを売る雑貨店も兼ねており、肉や卵だけでなく、菓子でも何でも売る移民らしい小売店をよく見かけた。


作品名も見ずに映画を観たら、あとあと題名通りの内容だと大きく頷いた。チュニジエンヌカフェ店を背景に、DVDなども販売する国際電話を扱う店先の風景が固定カメラで撮られており、監視カメラにならない平凡なシーンが繰り返される。その間に時代も背景も異なる各人のナレーションが入り、映像が傍観するように見えないこともない。


店内の映像はアルジェリアやマリ、レバノンなど出自の異なる男や老婆が登場して、それぞれの日常風景が作為なく交差する。ただ、郷土料理などの何気ない会話の多くと一緒に故郷や家族が話されていて、電話をする男も14年ぶりのレバノンへの帰国について喋り続けたりと、移民の生活が主題としてそのまま表されている。


少し前から移民問題でまず名のあがる国はフランスで、数年前からドキュメンタリーやフィクションの映画を観ても、フランスは過敏なほどそれらを扱って作品を生み出している。植民地支配ははるか昔からあるが、今は多民族国家としてイギリスよりもフランスのほうが集合する人々は複雑に形成されているように思える。ドラクロワの絵画やカミュの小説でもアラビアン世界はあるが、今でもその系譜を保ってパリの雑踏にイスラムの移民は根付きながら懐郷していることが知れる。


ジーンズに黒いジャンパーはシーア派とスンニ派を抜きに、イスラム圏でよく見た若者のファッションで、この映画もそれらの男たちがモロッコのカフェやトルコのチャイハネのように集まっている。中国を含めておそらく独裁的な体制の国では、男たちは公園でもカフェでも暇な時間さえあれば集うらしい、と偏見を持ってしまうほどたむろする姿が自然と似合っている。


時折カメラ目線になるアラブの男たちを観ていると、空虚な気分が募ってくる。先月からドキュメンタリー映画作品を観ているが、欠けた心を映し出す作品が多くあり、素直に気分が良くなったりすることはまずない。むしろ生きることへの辛さと、それを耐え忍ぶ希望の見えない思いがあり、活気よりも諦めの中で浮遊しているような状態へと情操は運ばれてしまう。


多民族が共生するパリだからこそ、生粋のパリジャンやパリジェンヌはもはや失われたように埋没しているのだろう。今はそれぞれ故郷を持ち、犬の糞が散乱する花の都に否応なしに根を張りながらも、枝葉は常に地中海へ向けて生きている人だけでなく、中央アジアの至るところどころか、東南アジアにも蔓を伸ばしている人が大勢いるのだと思い浮かべてしまう。

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