2月12日(金) 広島市中区十日市町にある自宅で「国境なき医師団・西岡憲吾医師、南スーダン医療援助活動報告」を観る。

広島市中区十日市町にある自宅で「国境なき医師団・西岡憲吾医師、南スーダン医療援助活動報告」を観る。


「全酒類販売 有限会社 ももや」さんで飲んで食べ、「Re:Re:river cafe'n」さんで少なくないテイクアウトを買い、遅刻して「国境なき医師団・西岡憲吾医師、南スーダン医療援助活動報告」を観た。


ラインがなければズームはできない。最近クラブハウスは耳にしたがスマホのないことを理由にはじめから電子機器の機能に諦めている。そしてわかる人のパソコン画面を畳に置き、買ってきた料理を中東地域のように「床に広げて食べよう」という提案に乗り、ジャーナリズム精神を醸すべく新聞紙に広げ、美味しい「リバ」さんの料理を今夜はすこしマナー悪く、見聞しながら口にした。


西岡先生の活動はSNSで見知ったつもりでいて、以前的場町にある「Cafe Igel / あかいはりねずみ」での報告会にも足を運んだが、驚異の行動力には常に感銘を受けている。国境なき医師団の活動もそうだが、広島での活動も貪欲な好奇心と熱量は変わらず、どこにいても怯むことなく、臆することなく一定していることに驚嘆してしまう。


以前出向かれたガザでの活動は非常に貴重な市民の生活と食文化を発信する興味深い内容となっていたが、今回はあまりのバイタリティに本職は何か時々忘れてしまいそうな西岡先生の職業について知れる機会となっていた。


質疑応答の後半に、現地の子供達が抱く日本のイメージについての質問があり、その問いをそのまま自分にあてれば、スーダンのイメージはなく、ルワンダの虐殺を扱った映画や、数年前に難民映画祭で観たケニヤのダダーブ難民キャンプが頭に浮かぶくらいで、スーダンは地図上でどことなく指せるが、イメージは白紙よりも借り物の他国に頼ってしまう。それは内戦が間歇に勃発する国で、日本人のイメージはセイコーの腕時計をはじめにトヨタやホンダによるメイド・イン・ジャパンと、ジャッキー・チェンやブルース・リーこそ日本人となっていた誤解に似たところがある。


西岡先生の話を聞いていて、細かいところは抜きして第一に連想したのは、理想よりも現実としての問題を合理的に解決していく体制に、姥捨山のような生きることへの平等だからこそ不平等な目線が存在していることだった。“助けてはいけない命”という逆説のような言葉は、福祉やバリアフリーの整った社会における基盤を考えさせることとなった。小さい命を救い、生存させるための負荷がどれほどのものかは、親の介護を考えるだけでもすぐに理解できる比喩となるだろう。


医療に関わらない自分としてはどの話も新鮮に聞こえるから、仮に日本の医療体制や環境の説明でも興味深いところはあるだろう。国境なき医師団の活動内容や派遣される国の実態の一面を知れることも大切だが、やはり自分の焦点は西岡先生の死生観を含めた人間力そのものに興味が向いてしまう。率直に、怖くないのか、恐ろしくないのか、コロナウィルスが様々な障害を立てているこの状況で、帰れない確率は疑いなく上がっているのに、どうして平然と状況を分析して、下手な感情や盛った話を抜きに客観的な情報をこうもうまく報告できるのだろうか。


要するに、自分の身近に知る中で、最も生きることを体現しているのだろう。もちろん喜怒哀楽の中で毎日を一喜一憂するのも人間らしい生き方ではあるが、生きるとは、やはり死をどれだけ瞬間瞬間に直視するかにあるだろう。


医療従事者として、麻酔が好き、という言葉がとても素敵だった。行動の背景にある愛なんて言葉をつい使いたくなるが、おそらく少し意味はずれてしまうかもしれない。とにかく、活動内容を肌で感じられる今回の報告はそのままの西岡先生がいて、ちょうど今夜転職の夢が破れた自分としては、とても比べ物にならない職業ではあっても、自分でできることをやり通し、常にいつ死ぬか分からない体で毎日を生きようと思い改めることとなった。

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