12月7日(月) 広島市中区本川町にあるラピスギャラリーで「二宮郁子 カリグラフィー作品展 つばめの軌跡」を観る。

広島市中区本川町にあるラピスギャラリーで「二宮郁子 カリグラフィー作品展 つばめの軌跡」を観る。


仕事帰りに寄れるギャラリーがあるのは喜ばしい。すこし前にひろしんぎゃらりーで観た大庭孝文さんを知ったのもこのラピスギャラリーで、今週開かれている「二宮郁子 カリグラフィー作品展 つばめの軌跡」に足を運んだ。


カリグラフィーという言葉は視覚で目にするよりも、現代作曲家の細川敏夫さんの音楽で耳にする機会が多く、筆の運びに自分の持っているイメージが集中していた。最近とある方が掛け軸の書をズームアップで写していて、それを見ながら、はらいやかすれに対しての感想に頷いたばかりというのもあり、二宮郁子さんの作品を前にして新奇な情感が自分に生まれた。


生の筆致よりも印刷として固定化された文字の作品ではあるが、表現するものは多様に含まれている。ラビンドラナート・タゴールなどの詩が刻まれているので、ざっと作品だけを観て味わうこともできるが、言葉の内容を頭に入れてから文字の形を追うと、どことなく線の運びが流れて詩情を豊かに映し出しているように感じる。ただし、短い時間と夜の疲労で詩を取り込むことは難しく、疲れに汚されていない明晰な心身の状態であるならば、色の違いやかすれの濃淡などにも多くの効果をもらい、とても輝かしい情感をもらえることだろう。


二宮さんに少し話を聞くと、紙やインクの種類に驚くほど細かい表現の差があり、聞いた言葉はぼとぼとと流れてしまった。ふと、とある方が掛け軸の作り方についての記事を書いていて、一見して完成してあるようだが、その組み合わせに建築のような強度と耐久性も考えられていることを思い出した。


印刷方法もいろいろあり、淡いものやらきりっとしたもの、それにかすれて懐かしく暖かい作品もある。文字には魂があり、漫画「蟲師」に生きた文字を扱う話もあった。体験から思い出されるのが、春の鎌倉長谷寺で陽光の下に本を開いた時に、うねうねと泳ぐ文字が見えて次元の狭間で呼吸をしたことだ。


ひろしま美術館だっただろうか、はるか昔に製本された歴史的な書物を目にして、太く厳かに印刷された文字が脳に刻印されたらしく、二宮さんの黒いツバメと一緒の文字にその厚みを感じた。流れる線は細く宙に飛び交うようで、流麗な文字は豊かな詩情を大きな存在として時に表している。


味わいはいろいろ。より時間をかけて詩を飲み込み、一人作品を前にして文字と対話すれば、古いイギリスやゲーテの東方世界など、自分の体験と混合されて生活に様々な潤いと夢想を授けてくれるだろう。繰り返し観て変化する心の色を、作品は何度でも代弁してくれそうだ。

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