11月2日(月) 広島市中区堀川町にある居酒屋「自彩菜酒処 渓」で飲んで食べる。

広島市中区堀川町にある居酒屋「自彩菜酒処 渓」で飲んで食べる。


陽気に今夜2店目を訪れるつもりでいると、どうもそうならない。木材の基調が明るい「自彩菜酒処 渓」さんはSNS上でも見かけることが多く、丸みのフォントがそのままご夫婦の接客も含めた柔らかなサービスと一致している。


島根の数種類の玉櫻から選び、燗酒で口に注ぐ。揚げた栗を鬼皮渋皮一緒に食べると、一体となった食感はカリッと気持ちよいが、渋みはやはり口に残る。それをレモンの染みたサツマイモで中和する。


昨年からだろうか、十数年振りに人との付き合いに目が向けられるようになり、この歳になって自他との違いとその価値観の面白さを味わって、各自の世界を考えている。内と外に厚い仕切りを持つ自分のような内向きな人間は、思春期を過ぎる頃から考えて物を言うことを知り、発達した自己の頭と他人の反応とのバランスがとれず、常に人を避けるような雰囲気をまとってしまうことになる。別に怒っているわけではないし、遠ざけようとしているわけではない、ただ、自分の正常が他の人の基本と乖離している。人見知りはしないが、軽口を叩くことを自重して、繋がりが深まることに注意している点もあるだろう。


さらに注文した玉櫻が染みて、栃尾あぶらげとパンは醤油とチーズにしっとりする。お店の人の接客が非常に快活で、メニュー表も、店の紹介も、自家栽培の土地もつながっていて、焼けた肌がすべてを物語っている。


昔より他の人の気持ちが分かるようになった気がする。ただ行動はそれに伴わず、無口で寄り添うよりも、合理的に突き放して孤独の沈思に預けてしまうことをする。その放ったらかしは、子供っぽいという言葉で片づけられるのだろうか。


基本の性質は変えられないが、自分本位ではなく、もう少しだけ他人の心が伝わって同調できればいいのにと思ってしまう。他人の芝をもはや青いと思わないが、自分の芝を青くしたいといえば青臭い。


無言と距離感の懐かしい地ぐ酒ぐ3店目はなく、雨上がりの道にうとうとしながら、明るく元気な「自彩菜酒処 渓」さんとの対照に沈む。同情への至らなさは今にあり、自我が対立して別々に歩く時間帯はひさしぶりで、昔に比べて頻度は少なくなったから、きっとこれが若さなのだろうと言えば、歳をとったから涙もろいなどと言い訳はしたくない。


楽しいだけが味わいではない地ぐ酒ぐの今夜だった。

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