8月15日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで吉田喜重監督の「鏡の女たち」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで吉田喜重監督の「鏡の女たち」を観る。


2003年(平成15年) グルーヴコーポレーション、現代映画社、ルートピクチャーズ、グルーヴキネマ東京 129分 カラー 35mm


監督・脚本:吉田喜重

音楽:原田敬子 、宮田まゆみ

撮影:中堀正夫

照明:佐野武治

出演:岡田茉莉子、田中好子、一色紗英、室田日出男、西岡徳馬、山本未來、北村有起哉、三條美紀、犬塚弘、石丸謙二郎、矢島健一、菜々子、奏谷ひろみ、今泉野乃香


ここ数日の映画作品の流れを汲んでおり、犯罪を隠すごとく生きていかなければならない被爆者の二世どころか、三世まで話は及んでいるが、白血病で登場人物が亡くなる悲しみは描かれていない。


21世紀の日本映画がこの劇場で上映されるとなると、今までの経験からして必ず良作が置かれていて、やはり今日の作品も訴え伝えるだけの内容ではなく、映画という表現媒体の可能性に目を向ける作家らしい作りとなっていた。


長回しはなく、ミニマルとはいわないが、それに近い一定の尺を持ったリズムの連続となり、その中で、グリッサンドで奏でられるストリングスがタイトルロールで流れる現代音楽らしい曲調があたかも追憶作業の神経的な響きとして、ピアノやヴァイオリンなどの一音が水面に落ちて波紋を広げたり、水面を枝でひっかいたり、細川俊夫さんの曲を広島で演奏した宮田まゆみさんの笙で水底の脳内を行き来したりと、音による印象は繰り返し画面に垂らされ続ける。


この作品には能楽の要素が多く取り込まれていて、人工的なまでに計られたカメラの構図や、登場人物の所作、選り抜かれた単語の台詞、会話の間など、どれもが能楽らしい呼吸を持っており、鏡とその割れに連関するように、記憶、喪失、光、影、亡霊、記憶違い、思い込み、自己の存在、吐露などの要素が扱われていて、能楽にも通ずる常世と幽世を橋渡りする魂の悔恨が母と娘の二重構造による三人の女性にそれぞれ付与されており、遺伝子のつながりと女性に通底する生きる苦しみと性が、同じ悩みとして重複している。


若い頃のちゃきちゃきした岡田茉莉子さんは、動作の緩慢な重鎮らしい老女となって芸歴の味わいを実感させる素晴らしい演技をみせており、田中好子さんは沢口靖子さんと似た純粋な目の光で記憶を失ってさまよい続ける女性の表面と内面を一体として写しており、高学歴でありながら迷い逃げてきた人生の一端が台詞にさらされる一色紗英さんは、驚くべき目鼻立ちとプロポーションで、勝ち気でもなく、かといって変に甘えん坊ではなく、しっかりした足取りで自己と現実に目を向けて問いかける姿が好印象に描かれている。


ある種の退屈さを感じる当然の2時間作品で、布石としてのサスペンス構成を持った前置きと、謎を明かしていく展開や大きく作品世界を変える過去の打ち明け話など、戯曲作品というよりも、物語として楽しめる丁寧な起伏を持っているので、もちろん眠くはならないが、能楽鑑賞における夢魔のような静けさはとある人間に、つまらないと思わせるもどかしさもあるだろう。


それぞれ美しさの違った女性三人が並ぶ姿は観ていて華があり、派手ではないが衣装の様変わりも楽しめるので、女性向けの作品などとくくってしまえば、この映画を貶めるだけだろう。現在の広島に似た景色をスクリーンと比べて、2003年公開の今に近い作品であっても、約20年前なのかと、時の流れを強く思い知ってしまう。


記憶はすぐに喪失してしまうのだろう。近頃は昔の経験を書くことも多くなり、記憶が無いという事がどれほどの事であるか、体験しないとわからないにしても、相当なことだと言葉を並べて陳腐に考え知るしかない。遺伝子鑑定による種明かしでは何もならないと、結果を見せずに終わらせる最後に、終わりのない事実の消えていく時間の無常がなによりも描かれている作品だった。

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