8月8日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで大庭秀雄監督の「長崎の鐘」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで大庭秀雄監督の「長崎の鐘」を観る。


1950年(昭和25年) 松竹(大船) 94分 白黒 35mm


監督:大庭秀雄

脚本:新藤兼人、光畑硯郎、橋田壽賀子

音楽:古関裕而

主題歌:藤山一郎「長崎の鐘」、池真理子「いとし吾が子」

撮影:生方敏夫

編集:杉原よ志

出演:若原雅夫、月丘夢路、津島恵子、滝沢修、三井弘次、薄田研二、青山杉作、清水一郎、高堂国典、奈良真養、土紀就一


終戦からわずか5年後に公開され、画面の粗さにフィルムの古さを感じるが、作品そのものは優れた映画として仕上がっている。わかっていながら、古さについつい拙さをイメージしてしまうものの、およそ古典と呼ばれる作品のどれもが現代の作品には及ばない分厚い生命を持っており、そんなあたりまえのことをつい忘れてしまう。


脚本に新藤兼人さんが関わっており、作品に携わる量もさることながら、その質の高さは毎度驚かされ、“新藤兼人”とという名があれば、その作品には一定の質が与えられたという印のようだ。さらに橋田壽賀子さんの名前も脚本に連ねられていた。


この作品は映画を形作る幾つもの要素に質の高さがあり、美しさを持った構図に、的確なカットと編集、二人の女性の思わしげな様々な表情、大げさにならない音楽の合わせ方、そして放射線、科学、宗教、ナース、修道女、原爆、などなどの要素が厚みを持った脚本の中でうまく描かれていて、コントラストとシンメトリーを映しながら、宗教を抹殺する科学という相容れなかった歴史を同時に保持して使命を全うする実際の人物の気高さが生きている。


長崎に原爆が落ちるまでの描き方がすばらしく、一点の不幸が起きる前の余命通告があるからこそ、皮肉な生死の順番が不条理に思われ、その運命の翻弄はこれが存在していた人の人生であるからこそ、沈思させられる。教会の再建に社会主義らしい労働シーンと低音の金管楽器が鳴らされて、このあたりに新藤兼人さんの持つ思想を感じてしまうが、そのあとの運びにも、ただの甘さで終わらない親だからこその厳しさが強く映画を締めている。


各役者の力量も当然のように高く、昔の映画関係者に敬服するとても良い作品だった。

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