7月5日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでヴォイチェフ・イエジー・ハス監督の「人形」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでヴォイチェフ・イエジー・ハス監督の「人形」を観る。
1968年 ポーランド語 153分 カラー 日本語字幕 デジタル・リマスター版
監督:ヴォイチェフ・イエジー・ハス
脚本:ヴォイチェフ・イエジー・ハス 、 カジミエシ・ブランディス
原作:ヴォレスワフ・プルス
音楽:ヴォイチェフ・キラール
出演:ベアタ・ティシュキエヴィッチ、マリューシュ・ドモホフスキー
やはり2時間を超える映画を前にすると、ひどく構えてしまう。ゆったりしたパンに長回しで始まると、セットの雰囲気からして重厚に感じてしまい、一緒に気分も重たくなってしまう。
画面には小物と調度品が溢れかえり、それに見合う貴族らしい衣装の人物達が華美を極めた内装に登場すると、細かいカットを繋がずに長いフィルム回しで物語は進んでいく。やけに蒸し暑く感じる館内の中で、物語に慣れずにどうにか眠気を我慢して作品に没入していこうと思うも、先を急がずに鷹揚と回し続けるカメラの大きさと豪華さに一度は集中力が切れる。
ところがある点を越えると、登場人物の意味がなんとなくわかり出して、物語がどのように展開していくかは別にしても、大河のような流れの中で上映終了時間を気にして焦ることなく、また尻の痛さを苦にすることもなく、いつ終わってもかまわず、また終わらなくてもかまわないほど劇場と一体化していた。
そう思えたのは美術がとにかく優れていて、細かい品々の多さに幻惑されて一品一品の質などはとてもはかれないにしても、一枚の小さなハーブでも優れた味わいを感じられるが、数種類を一気に口に入れて全体として味わうことも可能なように、画面全体に贅を尽くした至高の世界を味わうことができる。
ヴィスコンティ監督の「山猫」を思い出さずにはいられない華やかに彩られた虚飾の世界があり、没落していく貴族と商人への偏見などは、イタリアに限らず日本の江戸時代にもあったであろう。ポーランドだからこそユダヤ人との共存生活が当然として描かれており、家の売買に関するシークエンスには偏見を実証するような旨味のある会話が多く、短くない物語の中に人生訓らしい台詞も少なくない。
個人的には令嬢の描き方に魅力があまり感じられず、それは女性の趣味の違いだけが原因かもしれないが、主人公が純粋に恋するほどとは思えない。またその過程の描き方がそれほど表面として表れていなかったので、やや不可解とも思えるほどだった。しかしそれは高潔な精神であるからこそ商売に専心する男の気品ある振る舞いの結果であり、珍しいほど純情な男だからこその気位の高さと優しさが、女性への関心を描かせなかったのだろうとも思える。
難解に思われる箇所もあるが、この作品にあるのはポーランドという国への愛情ある憂いであり、それは決して変わらない人間世界への嘆きだろう。庶民を助ける為に働きながら、報われず、失望に失望が繰り返されていく様は、魚清ければというよりは、清濁合わせ飲み過ぎて、苦悶するようだった。
良い悪いはなく、優劣もつけられないが、高潔という言葉の似合う人間は確かに存在すると納得させられるが、目指した先の華々しさの中にいかに虚無と無知が存在しているかは、やはり貴族社会を扱う作品に必ず登場するテーマだろう。富裕とは何か、その社会層に足を踏み入れていないからこそ実感することはないが、虚飾が甚だしくなっていき、その分だけ虚しさを強く感じるのだろうか。もし感じないのならば、それが上流階級にいる証とも思えるほど、浮かれきった幸福となるだろうか。
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