7月4日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」を観る。
1958年 ポーランド語 103分 白黒 日本語字幕 デジタル・リマスター版
監督:アンジェイ・ワイダ
脚色:アンジェイ・ワイダ 、 イェジー・アンジェイエフスキー
原作:イェジー・アンジェイエフスキー
撮影:イェジー・ウォイチック
美術:ロマン・マン
出演:ズビグニエフ・チブルスキー、エヴァ・クジイジェフスカ、アダム・パウリコフスキー、ボグミール・コビェラ
数日前のカラー作品のデジタル・リマスターに比べると、透明感を持ったモノクロ画面が貫徹していて、色を持たない輪郭は登場人物を含めたすべての物の形象の美しさを浮き彫りにしているようだった。
上映後に入ってすぐに思い出したのはタルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」で、スクリーンを前にして物語の内容はまったくわからなくとも、小鳥が二体の遺体について話す人々の裏でさえずっていた。この静かな音が通奏低音のように物語の進行を支え続けていて、音楽は遠くで変わり、様々な人物が活動して組み合わさった構成のなかで、現実なのだが夢のような浮遊感をもたらし、儚さを常にたたえているような雰囲気が漂い続けていた。
映画は虚構であることを厳然と示す美しいカットが多く、この作品が有名だと知らなくてもカメラは静かな迫力を持って映し続けている。自分の頭の働きが弱かったのもあり、前半から人物の相関関係はあまりつかめず、立場もはっきりせず役割らしいものはわからなかったが、重要なキーワードとしてワルシャワ蜂起があり、アメリカとハンガリーのたばこの違いなど、各シーンの中で感じ取れないメタファーや歴史関連がごろごろしている気がした。
台詞も重みと同時に理屈では判然としない会話があり、説明よりも象徴のように感じる点も多く、カリカチュアらしい演出も肉で持って体現しているので、現実に面して皮肉と諧謔が機知として現れるのは、どうしても民族や国家の悲運が生み出した意志を持ったしぶとさのように思えてしまう。
脚本や物語の妙味よりも、この作品が名を表す詩情こそがなによりの魅力なのだろう。過激なまでの採光や、人物を含めた明暗のコントラスト、狙いきったカメラのアングルにいかがわしいほど派手な花火があがり、反映がその意図を時間と構図の美しさで納得させる。
恋愛関係までの発展も個人的にはとても好ましかった。ズビグニエフ・チブルスキーとエヴァ・クジイジェフスカのやりとりは完璧なまでの白々しさがあり、素直でいられないのが良い意味で憎らしく、素直になるところがなんとも愛らしい。こんな夜のロマンスは誰もが一度夢見て、どこかで体験したように胸の鼓動を切なく打つ。ナイーブでありながら牙を剥いた荒々しさがあり、随所に映画表現の持つ魔力が宿り、過ぎて滅んでいく運命を感じさせる。
これがこの時代のポーランドの表情なのだろう。大戦がとどめを刺したようなあまりの荒廃は根強く残っている。そのなかで、場違い、時代錯誤に踊られるシークエンスは、踊らずにはいられない民族の血が悲しく笑うようだ。
とにかく、時代と光が鋭く美しい作品だ。
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