6月13日(土) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「岡本かの子の『家霊』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「岡本かの子の『家霊』」を読む。


巣ごもりシアターおうちで戯曲の作品公開が停止したので、新潮名作選百年の文学から短篇を読み続けことを再開した。女流作家にどうも苦手な印象を持っているのは、ジェイン・オースティンの作品がとても素晴らしくても宮本百合子の印象が残っているせいだろう。どの作品を読み、どんな感じだったか覚えていないくせに、性に合わなかったことだけはしっかりと記憶している。


そのせいか、初めて読む岡本かの子の作品にも構えてしまった。場所、舞台、人物が順繰りに説明される構成となっていて、内容を掴むのはたやすく、奇を探す傾向の自分としてはいたって普通の小説らしく読めるが、ところどころ漢字につっかえることがあった。“豪宕ないのち”や“食もの”、“張気”、などは読み方を少し考えてしまい、こういう些末な点は読者に負担をかけるのだと改めて知った。


上下段で合わせて約8ページのこの作品は、前半に主人公である女性の立場にいたるまでの説明、中盤に彫金を生業とするどぜう汁をせがむ金のない老人客の話、後半に由来と将来の余韻となり、短篇の中に肉体と精神を備えた人間の生き様が描かれている。志賀直哉らしい浮かれのない男性的な文体の足取りは剛健としていて、比喩や描写には厭世的というか、辛辣に描くやや露悪的な面もあるが、その言葉選びと鋭さには才気が走っている。軽い調子ならば女流作家らしいなどと判然して見過ごすだろうが、男性が幅を利かす古い文學界で浮かぶ女性というのは確かな才能に磨きがかかっているらしく、そもそも文を書く時点で理知的という可愛げのない面が目についてしまい、近寄りがたくなるのだろう。だからこそ、女流作家に手を向けようとしない自分のいることが思い出された。


気になった文章を手習いの意味も含めて挙げていくと。


“葱を刻んだのを薬味箱に誇大に盛つたのを可笑しさを堪へた顔の小女が学生たちの席へ運ぶと、学生たちは娘への影響があつた証拠を、この揮発性の野菜の堆さに見て、勝利を感ずる歓呼を挙げる。”というのは、若い男女関係の純朴な楽しさがよく感じられる。


“押し迫つた暮近い日である。風が坂道の砂を吹き払つて凍て乾いた土へ下駄の歯が無慈悲に突き当てる。その音が髪の毛の根本に一本づつ響くといつたやうな寒い晩になつた。”というのは、髪を使うところが女性らしい比喩だと新鮮に思った。


“老人もよく老名工などに有り勝ちな、語る目的より語るそのことにわれを忘れて、どんな場合にでもイゴイスチツクに一席の独演をする癖がある。”なんていうのは、聞き役の人ならば誰でも持っている観点であり、老人に限らず、ある程度若い時からその傾向が現れる人もいれば、歳を経て増す人もおり、男女関係なく人の話を聞けない側面を持つ人に多い兆候で、冷静な分析描写で鋭く捉えている。


“人に嫉まれ、蔑まれて、心が魔王のやうに猛り立つたときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しづつ嚙み潰して行くと、恨みはそこへ移つて、どこともなくやさしい涙が湧いて来ることも言つた。「食はれる小魚も可哀さうになれば、食ふわしも可哀さうだ。誰も彼もいぢらしい。ただ、それだけだ。女房はたいして欲しくない。だが、いたいけなものは欲しい。いたいけなものが欲しいときもあの小魚の姿を見ると、どうやら切ない心も止まる」”などは、残酷なほどの怖さと悲しさが、小さい魚に様様に仮託されていて、どじょう同様の滋味が豊富に詰まったこの上なく素晴らしい文章となっている。


「いのち」という店の名前から始まって、そこで精力を付けに来る客を扱い、閉じ込められて固まっていく女性の悲哀に腕は持っているが名工として世間に認められない貧しい工芸家のしがみつきを結びつけて、いのちそのものを、生きる力、柔軟性、春らしい色合いなども重ねつつ、遺伝では説明つかない宿命も合わせて一連の絵巻としての物語が美しく描かれている。


こんな作品を読むと、男や女など気にすることがそもそも間違っていることに気付かされる。良いものは良い、ただそれだけを持って、好きのものは好き、嫌いなものは嫌いとしながら、単にはねつけずに近づくことが大切なのだろう。


映画や戯曲とは異なる小説だけが持つ味わいを久しぶりに感じて、やはりこの表現形式に一番惹かれたのだと、持っている力の大きさに感動した。

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