6月4日(木) 広島市映像文化ライブラリーで蔵原惟繕監督の「愛の渇き」を観る。

広島市映像文化ライブラリーで蔵原惟繕監督の「愛の渇き」を観る。


1967年(昭和42年) 日活99分 パートカラー 35mm


監督:蔵原惟繕

原作:三島由紀夫

脚本:藤田敏八 、蔵原惟繕

撮影:間宮義雄

音楽:黛敏郎

美術:千葉和彦

編集:鈴木晄

出演:浅丘ルリ子、中村伸郎、山内明、楠侑子、小園蓉子、志波順香、岩間隆之、石立鉄男、紅千登世


映像文化ライブラリーで古い映画ばかり観ていると自分のことを括りたくなるが、今日の映画作品を観て岡本喜八監督の「肉弾」や鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」を思い出した。ズームインとアウトの多用ばかりでなく、ワンカットの長さ、フェードアウトでの画面切り替え、名前の知らない撮影技術や突飛な画像処理なども見られて、正当な映画編集の文法という自分勝手に築いた概念から外れた内容に、いかに都合よく忘れて映画を観ているのかと見識の狭量さを気持ちよく痛感した。


白黒ではなくパートカラーによる画面は、白昼夢という言葉が適合するぼやけた白さを持っていて、断片的に挟まれる猟奇的な鶏の断末魔の声はサディスティックな内面性を明確なモチーフとして表しているようだ。脂汗のにじんだ顔や、化粧で顔色など見せない面など、ズームアップによって対照的な表情を何度もとらえている。


おそらく初めてスクリーンで観る浅丘ルリ子さんは、綺麗な首筋と人形らしい睫毛の長さに日本人らしからぬ雰囲気があるものの、シャープとはいえない顔の形などはやはり東洋人らしく、ややミスマッチなパーツの組み合わせによるエキゾチックな感じが着物姿の優艶な姿態に表れていた。


最も気になったのは三島由紀夫の人物造形で、もとになった小説を読んだか覚えていないが、耽美主義なんていうレッテルを今さらに知ったようで、映画ながらこの作家の持つ人間のえぐり方をくらわされたようだ。もちろん蔵原惟繕監督の映画作品としての表現の粘り強さがあり、各俳優の肉厚のある演技もそうだが、やはり物語に一貫している独特の世界観は、たとえば細川俊夫さんのオペラ「班女」を思い起こさせる女性の禍々しさがあった。


この人物造形こそ、映像文化ライブラリーで古い映画と括っていた作品群の中にいなかった女性であり、不可解ながら理解できる女性の怨念を有無をいわさぬ説得力で作りあげているようだった。


奇抜な映像としての新しさよりも、原作として昔から底にいる人間の新しさを味わうようで、古い映画などとまとめられない多様な作品があることを、今さら知らされるようだった。

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