6月3日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで羽仁進監督の「アンデスの花嫁」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで羽仁進監督の「アンデスの花嫁」を観る。
1966年(昭和41年) 東京映画、羽仁プロダクション 103分 カラー 35mm
監督・脚本:羽仁進
撮影:長野重一
音楽:林光
編集:芝崎英子
出演:左幸子、アンセルモ福田、比嘉タケシ、高橋幸治、ドン・マテオ、サンタマリア、ワイパリマッチ、金城光太郎
海外ロケの映画作品に期待を抱けないのは、以前ハワイを舞台にしたフィルムを観て、映画らしい物語構造を持たない文化紹介の側面が強く表れるどころか、その土地をエンジョイする娯楽要素が強く、実際に足を運んだ者としては懐かしさを覚えるものの、演技や編集に雑と思える荒っぽい運びがあったように記憶しているからだ。
今日もそのような先入観を持って観たのだが、カラーフィルムのこの作品は冒頭からアンデスの高地をロングショットで写して、不自然としか思えない女性の昔らしいスーツ姿、いわば自分の子供の頃の記憶で浮かぶ授業参観にやってくる母親らしい出立ちで、急峻な乾いた斜面で小さな男の子の手を引いている。アンデスの村に日本から嫁ぎに来たとはいえ、決してその道を通らないであろうと思われるような場所で必死になる姿は、真偽ではなく、作品世界への導きとして迫力のあるものだった。
カメラに対してぎこちないのか、それとも自然なのか判別できないインディオはタイトルロールから登場していて、この時点ですでに、クスコの方へ行ったことはないが、ペルーの別の場所や、エクアドル、コロンビアなどのアンデスを旅行した自分にとって、そこに向かうだけで困難な土地だと知れて、ハワイとは異なる作品に対する強靭な姿勢が強く感じられた。
前半は移民としてやってきた新旧日本人の労苦や自然の厳しさなどが描かれていて、乾いた山の風景と対照に、日本人コロニアのある生い茂ったジャングルも写される。その緑豊かな美しさに農業の紹介なども加えられていて、社会の授業で観賞されるべき作品水準を持ち、教科書で習った焼畑の理由などは画面によって納得される。
それでも後半から映画らしい人間物語に焦点が当てられて、日本からやってきた左幸子さんは変貌していく。その様変わりはさすが女優としての力量だけでなく、このロケの環境による自然の同化作用も強いらしく、それほど流暢ではなくてもスペイン語の会話は自然のままで、見るからに素朴らしい硬さの演技をする他の出演者がそもそも役者なのか、それとも現地の人なのか判別できないが、女優という演技の質そのものが日本からの輸入だと披露するまでもなく異質に輝いている。
侵略者であるコーカソイドと昔からその土地に住むインカ文明の衰残であるインディオの関係はたびたび描かれるが、この映画の主題としてあるのはその文明のはるか昔に渡来してきた同じモンゴロイドという人種であり、赤児の蒙古斑という通有が証明するように、似た性質を持った人間だという近親性だろう。
風景の持つ圧倒的な面だけでなく、そこにいる家畜やそのまま暮らす人々の姿は、文化を頼りにする側面が強くても、訴えかけて考えさせる力がある。インディオの若い女性と左幸子さんの取っ組み合うシーンのほほえましさは、それが演技ながら偽りの本当らしく、喧嘩の怒りよりも笑みがその顔にあることを隠せないからだろう。いわばじゃれ合う動物同士のコミニュケーションが遠慮せずに顕在化している。
アンデスの懐かしさもさることながら、映画としての要素をところどころに垣間見ることのできる非常に挑戦的な良作だと、エンディングの闇と提灯にどっと感動した。
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