5月22日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで新藤兼人監督の「女優」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで新藤兼人監督の「女優」を観る。
1956年(昭和31年) 近代映画協会 93分 白黒 35mm
監督・脚色:新藤兼人
原作:森赫子
撮影:宮島義勇
美術:丸茂孝
音楽:伊福部昭
出演:乙羽信子、細川ちか子、小沢栄太郎、御橋公、清水一郎、嵯峨善兵、殿山泰司、宇野重吉、日高澄子
新藤兼人という名が脚本か監督で記されていれば、その作品は観るに値するというレッテルになっている。昨日観た作品も脚本で関わり、この作品では監督として腕を振るっている。脚本と監督の両輪で高い質を保つから、この人は特別な映画人としての立場が自分の中で確立されていて、今日の映画を観てあらためてロシア的というか、泥の中からもがくように生まれるとはいわないが、生きることの悲喜をさらけ出すように描くと思った。
「女優」という名のタイトルにしては地味ともとれる内容の映画で、女性らしい家庭生活をよそに、ただひたすら芸を磨くことに費やされる昔気質の女優という職業が人生のレールを示してくるが、本人は女としての恋と幸福を追うも、目端が利かず、結局女優として生きる他ない運命だと尼さんのように達観していく。
今はあまり聞かなくなったスターという単語で形容される花形女優だからこそ、体の不自由によって力が奪われて転落することに物語のうま味があるにしても、俯瞰すれば人生において能力のあるなしに関わらず、困難の中で希望を捨てずにすがりつき、たとえ結果は好転しなくても心構えを正していくことで人生に意味を付与していくことは誰しも同じことだろう。程度の差は問題ではあるが、根本としての問いかけは変わらず、この映画ではその過程を乙羽信子さんが各段階を鮮明に演じている。成瀬監督の高峰秀子さんや溝口監督の田中絹代さんなど、人生の変転を描く大河らしい物語の中で変遷していく人物像を描き出すのに、昔の女優は疑問を抱かせることなく常に演技らしい実存ではっきり浮き彫っている。
所作から始まり、衣装の美しさや舞台裏の覗き見など興味深い点はあるものの、やはりこの映画は乙羽信子さんの演技こそ観物だろう。「さくら隊散る」にもインタビュイーとして登場していた各劇団の重鎮も端役として昨日同様強固に脇を締めていて、やはり昔の俳優は水準が高いというなんら珍しくない常套句で結びたくなる作品だった。
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