5月6日(水) 広島市中区十日市町にある自宅で新国立劇場の巣ごもりシアターおうちで戯曲から「早船聡の『鳥瞰図』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新国立劇場の巣ごもりシアターおうちで戯曲から「早船聡の『鳥瞰図』」を読む。


どうしても昨日読んだ蓬莱竜太さんの作品との比較から入ってしまう。三点リーダーと間が少ない、そして会話文に密度があり、やや文語らしい単語選びは人物そのものから生み出される生の言葉よりも、作り物らしい造形の堅さがあった。若い柔らかさと親しみやすさは蓬莱さんのほうがあり、正統という根拠のない実感による言葉をあてはめてしまうように、手堅く物語は進んでいった。


演劇の世界を詳しく知らないが、アングラなんていうレッテルがあるから、特色はそれぞれ異なるのだろう。その中でこの作品を読んだ感想は、固定観念として持っている演劇らしい形式を保ち、逸脱するような展開もなく、各登場人物もありがちというか、いかにも現代社会にいるそれらしい人物像を備えている。リアリズムなんて単語があれば、それで枠に括れる登場人物ばかりだった。


それでも霊が出てくる展開もあった。率直なイメージとしては、ハサミで各登場人物を切り抜いて男女それぞれ重ねれば、影しかない輪郭は似たようにかぶさるものの、細かい形象と色彩は異なっていると示すような物語となっていて、展開の道標のような各キーワードは単体としての意味ではなく、各登場人物にあてはまるように各副題を備えていて、重層というか、むしろ根本の男女関係を現代に描写しながら、細部を変えて変わらない人間像を描いているように思えた。


男、女、結婚、夫婦、不倫、離婚、性、死、失踪、再婚、食事、現実、病、夢、願望などなど、男女に端を発して子供に関係が広がり、各要素が連関しながら、繋がったり離れたり、保ったり突き放したり、現代の人間を扱えばすぐに浮かぶ孤独という単語よりも、むしろ孤独死を材料にしながら、孤独ではいられないお節介な人間そのものが、慎重に、切実に、軽はずみなく描かれている。


この作品を読んで強く感じたのが、音楽のような厳格で無駄のない構造性で、映画も同様だが、意味を持たないパーツの省かれた各素材の機能性の強さで、小説のような説明文を持たせない形式がそうさせるのだろうが、各会話での情報提示が明確にあり、布石が決して無駄に転がされず、必ず物語の中で重なり、意味を持ち、前の出来事から意味が重奏して膨らむのは、やはり音楽のような構造を感じてしまう。その点で言うと、小説は脇道に逸れることを許す表現のようで、それこそが全体の評価として感慨を生むだらしのない要素でもあるだろう。そういう意味ではあまりに機械らしく物語が作られていて、昨日の蓬莱さんよりも舞台空間は感じにくくも、必ず良質の物語が描かれるであろうと実感できる内容となっていた。


今の世の中がそうとは言わないが、つい登場人物の女性に健康的な人柄をあてはめたくなるのは、草食系なんて言葉が古く浮かびあがってくる昨今にあるからだろうか。それはなよなよした男の願望でもあり、そもそも戯曲を書こうとする一般社会よりも狭まった社交性質の人間は、強い女性にいじめられたい願望を持ちたがるのだろうか。そう思うのも、やはり男性よりも、登場する女性のほうが枠内をはみでる魅力的な性格があったからだろう。


少し古風で真面目だからこそ、たしかな舞台で感動できそうな作品だった。

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