4月26日(日) 広島市中区白島九軒町にある公園「白潮公園」のベンチに座る。
広島市中区白島九軒町にある公園「白潮公園」のベンチに座る。
春の盛りに釣られて自転車を走らせた午後は、夕刻に白潮公園に行き着く。ウォーキングやランニングする人々を見れば、こんな時期だから体を動かしているのだろうと思いそうになるものの、おそらく普段の動きなのだろう。率直に思うことは、そんなにマスクは必要だろうか。顔に張り付けてランニングする強ばった表情を見ると、つくづくそう思ってしまう。
この川辺は一段降りていて、湿気が濃いせいか下草に苔が混じっている。川は泥が多く堆積していて、天満川は川岸工事で自然の豊富さを失ってしまったが、ここは川面に向かってひねくれた枝を伸ばす木々もあって、より涼しい風情を持っている。そのせいか、夕刻には雀でない春鳥が多くさえずっていて、やや陰鬱ではあるかもしれないが、石積みから伸びる楠にも自然の圧倒的な浸食力を感じられる。
ふと思ったのが、冬の行動はもはや捨てるべきだと。今は自然を愛でるように動き回るのが自分にとっての自然であり、習慣がいかに自分に桎梏を課しているか気づかされる。いつも行っているから行かないと、そんな考えは置いておいて、好きにいけばいい。どうせ冬になったら、また戻るのだからと、今あるべき季節の有り難みを享受しようと思った。
帰り際に突っ立て小鳥を気にしていると、シジュウカラが桜の樹にある穴から出てきた。あの動きは、どうも巣があるらしい。そう思わせたのは、柴又のアパートに住んでいた時に雀が風呂場の換気口に巣を作ってしまい、FCバルセロナのプラスチックの下敷きで塞ぎ、さらにダンボールで隠した思い出があるからだ。ピーピーピーピー雛が鳴いていて、親鳥が帰ってくるとけたたましく鳴くのだ。家を出ると、親鳥は警戒する鳴き声を発するくせに、その敵である自分が家の中にいて、夜にシャワーを浴びる時などのんきな程静かに眠っているから、繊細でありながら図太いのだと感心した。
桜の樹の穴に近づくと、シジュウカラの両親が戻ってきて、近いのだが近すぎない梢で警戒する音を鳴らしている。小鳥のさえずりが多いと思ったが、座ったベンチの近くに巣があり、雛が始終鳴いているからそう思えたのも一因なのだろう。
あまり騒がせては悪いから、数分間観察させてもらってから後を去る。なんだか懐かしい気分になってしまった。
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