4月26日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「志賀直哉の『好人物の夫婦』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「志賀直哉の『好人物の夫婦』」を読む。


この文豪に関しては「暗夜行路」や「城の崎にて」を始めとして、何も言う必要がないくらいで、うかつに読めば誰でも扱えそうな文体の影響を強く受けてしまい、気づけば志賀直哉風の文章を書いている自分がいて、それを追い払うのに必死にならないといけない。ひろしま美術館でとある女性が口にしていたのは、「簡単に描けそうだけど、描くとどうしても違うのよね」というアンリ・マティスの評価で、それ同様に誰でも使えそうな文体でありながら、決して真似できないのが志賀直哉の文章だろう。


以前にも読んだことのあるこの約8ページに5節の小説を、あらためて好感を持てる人物と感じた。成瀬巳喜男監督の「驟雨」を思い出させる無言によって多くを語る夫婦の会話シーンから始まり、次いでちょっとした出来事が起こり、そのあとに問題が起こって自己分析を経てから、夫婦の解決が真面目な諧謔を含めて描かれている。モーツァルトの音楽に一切の無駄がないなんていう評価を聞くこともあれば、バッハも同様に思えたりする。それと似たように、この小説もおよそ無駄が省かれているのは志賀直哉の基本であって、それは読んだ誰もが感じることなのだが、その中に含まれているエッセンスの味わいが、マティスに似た絵と本物を分けるように、甚だしい程度の差があるのだろう。会話文や地の文に含まれる内容の豊富さと、その文章の連関があまりに自然としていて、物語の情景がありありと、それもすんなりと飲み込める。ルビは多いが読点は少なく、息の短い文章のリズムは五言絶句や七五調のような詩のリズムを持ち、そのなかで三段論法のような簡潔な論理を持って文章が展開されているので、どの箇所も明晰でありながら理知的にあり、およそ多弁など必要のない純粋なる部分をただ描いている。地の文はそのようにして心理分析を行っているのだが、会話文となるとずいぶん真面目な洒落がきいていて、その朴訥な感じだからこそ愛らしいユーモアと人間性が溢れていて、下手な真似せずに率直なセリフで人物そのものが全面に描かれている。いまさらながら“小説の神様”と呼ばれるだけある澄み切った文体のこのうえない美しさと、清廉な性情によって生まれた愛らしい直情が見事な一致をみせている。ようするに、この人は良い人で、また、自然児で、融通がきかない人なのだ。でも、とても優しい人だということが、この小説に描かれている。


とりあげたい箇所は多くあるが、“「そんならいや。旅行だけならいいんですけど、自家で淋しい気をしながらお待ちして居るのに貴方が何所かで今頃そんな…………」かう云ひかけて細君は急に「もう、いやいや」と烈しく其言葉をほうり出して了つた”なんていうのは、昔の映画で頻繁に見るような色気のある女性像が浮かび、旅行中に浮気するかもと心配されて“「屹度そんな事を仕やうと云ふんぢやないよ。仕ないかも知れない。そんなら多分しない。なるべく左うする。──然し必ずしも仕なくないかも知れない」”なんていうセリフは、およそ利口な男には出てこない文句であって、一言で、しない、と言って安心させればいいのに、そうならないところにこの小説の愛らしい面白みと、案山子と思えるほど自己に生真面目な男の人間像と、それを愛する妻の哀れなほど偽りのない関係と決して嘘をつかれない安心も表れている。


地の文で気になったのは、“それからも良人は其危険性の自分にある事を半分笑談にして云つた。又或時は既にそれを冒して居るやうにも云つた。而して後のを云ふ場合には知らず知らず意地悪いイヤガラセを云ふ人の調子でそれを云つて居た。これはづるい事だ。其場合彼では打明ける事が主であつた。然し聴く者にはイヤガラセが主であると解れるやうに彼は云つて居た。聴く者にとつてイヤガラセを主として感ずればそれだけ云はれた事実は多少半信半疑の事がらになる。良人は故意で左うするのではなかつた。知らず知らずにそんな調子になるのだ。”屁理屈になるだろうが、なんだかすっと理解できるところがこの文体の為せる力だろう。


誰かが言っていた、文体を変えたいなら自身を変えるのが近道、という言葉通り、文体は書く人間そのものであることはすんなりと飲み込めるから、志賀直哉の書く文章に好感を持てるのは、その書き手そのものを好くのと同様だろう。清廉潔白とは言わないが、不倫してしまう自己の性情を冷静に分析しながら、それはおれじゃない、と言って妻を安心させる優しさがこの小説の眼目であり、そもそも、嘘でもいいから安心させる言葉をかけてあげればいいのにと思うも、そうもいかない不器用な性格だからこそ、このような稀有な文体が成り立つのだろう。


志賀直哉には常に信頼が宿っている。真似しようとしても、とても利口と思えない抜けた文句を平然と妻に浴びせる不器用さこそ、なかなか真似できない玉のように見事な人柄なのだろう。無知と勇気は紙一重だが、その場を取り繕う賢しさがないからこそ、似せられるようであっても、決して本質まで届けない廉直な人間性がある。結局、人間を磨くこと以外に良い文章を書く方法はないのだと、改めて知る素晴らしい文芸作品だった。

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