2月29日(土) 広島市西区草津南にある109シネマズ広島で「METライブビューイング2019─20 第5作ベルク『ヴォツェック』」を観る。

広島市西区草津南にある109シネマズ広島で「METライブビューイング2019─20 第5作ベルク『ヴォツェック』」を観る。


指揮:ヤニック・ネゼ=セガン

演出:ウィリアム・ケントリッジ

出演:ペーター・マッテイ、エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー、クリストファー・ヴェントリス、ゲルハルド・ジーゲル、クリスチャン・ヴァン・ホーン


このオペラについてショスタコーヴィチは称賛している。それは証言本に書かれていたことだが、その本について、たしかウィキペディアだっただろうか、内容の真偽は確証を持てないとのことだった。本当かどうかわからない本と虚実も混じるインターネットサイトに、頼りない自分の記憶力が重ねられれば、考える必要もないだろう。


とにかく昨年もらった今シーズンのチラシにはベルクのこの作品が上演される予定で、それもヤニック・ネゼ=セガンの指揮で、ウィリアム・ケントリッジの新演出とあり、期待して待っていた。


上映時間は通常のオペラ作品に比べると短く、休憩なしの約2時間で終了してしまう。同じ金額を支払っているから、短い分だけもったいなく思うこともないことはないが、結局満足の度合いが重要なのだろう。そう考えるとこのオペラはまさに期待通りの質だった。


まわりを見ない信用に欠ける極論を言うならば、シェーンベルクから興った新ウィーン楽派の音楽性はベルクのこの作品で到達点を得ただろう、などとたわけたことを断言するほど良かった。メシアンの音楽に対して妻はいつもめまいがすると言うが、十二音技法を基本として作られたこの音楽に対しても似たような印象が起こるだろう。ただそのめまいとも言うべき不安な印象が舞台にこれ以上ないくらい良い影響と組み合わせを生み出していて、劇中でもめまいという言葉はでてくる通りなのだが、今までのオペラとは異なる、また最近観た「アクナーテン」とも違う、複雑で心地良い印象を生まないウィーンの音楽が素晴らしい現代劇として高度な作品を生みだしていた。


作品を観賞していて頭に浮かんだことがいくつかある。まずブレヒトだ。ベルクがこの作品を生んだ時代である第一次世界大戦の影響が色濃く出ていて、それが「肝っ玉おっ母とその子どもたち」を思い出させた。ブレヒトの舞台は観たことはないが、戯曲を読んで文学としての質の高さと物語の面白さに強い感動を覚えていたので、あの暗い戦争の時代が、ベルクのオペラ作品の持つユーモアとメタファーにリンクしたのだろう。歌いあげるアリアよりも乱脈のゆがむ台詞から、昨年に読んだベケットの「ゴドーを待ちながら」が思い出された。次いでガスマスクを使用した衣装からは、最近の流行と合致してやはりブレヒトの「ガリレイの生涯」が浮かび上がり、ペストの流行っている中で必死に生きていたあの素晴らしい作品の人間と、生きた会話劇が思い出された。


そのようにベルクのオペラ作品は演劇好きだったショスタコーヴィチが褒めたたえるほどに、今までの劇とは決定的に異なる現代劇らしい台詞に貫かれていて、扇情的な歌いは省かれ、そこにソ連の作曲家の交響曲第9番に含まれる奇怪でニヒルな諧謔性が存在していた。いうまでもなく、この作品にはショスタコーヴィチが散見された。それらが自分に野菜と2つの言葉を思い出させ、ジャガイモという、ロシア語のカルトーシュカとドイツ語のカルトッフェルが浮かんできた。大地のリンゴなどの気取った言い回しから派生したような油で揚がったポメスではない生の馬鈴薯が象徴されるように、ロシアとドイツの持つ共通性がこの劇で表現されていたようだ。それは真面目で、軽快でなく、深刻で重苦しいユーモアを持つということだ。


アニメーションとプロジェクトマッピングの使用された舞台は混雑していて、高低を巧みに使用した木材の装置は把握できず、上演後のインタビューでペーター・マッテイさんが述べていたとおり、幾重にも張られた蜘蛛の巣という印象そのままだった。貧困で精神を病んだ兵士が不貞の妻を殺す物語、それだけのことが凄まじいまでに分裂して印象を残す音楽に乗り、真正の演劇の中で痛烈な台詞がヒステリックなまでに叫び歌われて、圧倒されるのではなく震撼させられ続ける。陶酔でもなく、麻痺でもなく、まざまざと人間性に震え続ける舞台なのだ。


「蝶々夫人」のようにパペットを使用した演出や、集英社のコミックなどに見かけたようなガスマスクの形状と赤十字の衣装も古臭くならない世界観があって良かったが、トム・ハンクスを思い出させるヴォツェック役のペーター・マッテイさんの演技と歌がとにかく激烈だった。


ショスタコーヴィチが褒めるのだから、やはりそこにはショスタコーヴィチがいた。そしてそんな作曲家を好む自分だから、この作品を好まないわけはない。人間精神が深く辛辣に追求された、暗い時代の、そんな珠玉の現代オペラ作品だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る