2月9日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで溝口健二監督の「山椒大夫」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで溝口健二監督の「山椒大夫」を観る。


1954年(昭和29年) 大映(京都) 124分 白黒 35mm


監督:溝口健二

脚本:八尋不二、依田義賢

撮影:宮川一夫

録音:大谷巌

美術:伊藤熹朔

音楽:早坂文雄

出演:田中絹代、花柳喜章、香川京子、進藤英太郎、菅井一郎、見明凡太郎、小園蓉子、浪花千栄子、毛利菊江、三津田健、清水将夫、香川良介、河野秋武


以前観た時に面白いと思えずに我慢するように観ていた理由は、昨日の観劇と似た状態にあったからかもしれないと気づいた。再現を待ち受けるように、森鴎外の小説の内容がそのままなぞられることを期待していたのだろう。今は小説の内容を大分忘れてしまったので、原作を追うことをせずに溝口健二監督の「山椒大夫」を確認することになるのだが、これほどの作品をつまらないとよくも思えたと、昔の自分のいい加減な感性にあきれるばかりだ。


前半から柔らかい調子で物語は進み、スムーズに親子は離散していく。その淀みのない流れと、小舟での切実なシークエンスは素晴らしい切り張りのされ方だ。この作品ではそれほど長いカメラ回しがないと思っていると、中盤から徐々に現れて、ラストではこれほどのショットだったのかとうなるばかりだった。


笙などの和楽器はこの作品にもうまく使われているが、西洋の金管楽器が使用されたりと音楽は西側諸国の要素が少し混じるも、旋法は東洋のものらしい。画面を仕切る道具の使い方もやはり上手で、この作品ではより太い樹木が目立ち、仏像なども効果的に使われていたと新たに思い出す面もあった。


激しい雨や風はなく、人々の動きが最も激しさを持っており、労働と搾取という人間社会の永遠とも思えるテーマを扱い、奴隷状態からの個人の解放を描く点には、はたして森鴎外の小説にあっただろうかと考えてしまった。こういう要素は今月観た作品には気づかなかったから、表だった問題提起と理想的な勧善懲悪にはならないささやかな恩寵の結末があるも、歳月も肉親も失った取り返しのつかない不幸はやるせなさが大きく残る。恨みを果たすのではなく、同じ目に遭わない人を減らす、小さな観音像と父親の箴言が基本としての平等を貫かせる。


成瀬監督ならば高峰さんで、溝口監督は田中さんだろうか。はっきりと他と異なる美しい面をしていないが、温かみのある菩薩のような顔立ちは、役柄によって様変わりする。京マチ子さんのような特徴ある顔は基本の面が性格を変え、高峰秀子さんも自然な演技で表情を変えるが、田中絹代さんは中身からそっくり変わるように、目をこすって他人ではないかと疑ってしまう演技をする。母性を持った品の良い演技は、作品に他とない柔らかさを与えている。


再確認は見事に済み、名前だけ知っていた監督の他にない作風を知ることができた。別の作品も観てみたいが、いずれ映像文化ライブラリーで観ることになるだろうか。

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