1月25日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでエリック・ロメール監督の「満月の夜」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでエリック・ロメール監督の「満月の夜」を観る。


今日で鑑賞4作目となるエリック・ロメール監督になるが、今日も女性を主人公とした内容となり、安易な類比をするなら、日本でいう成瀬巳喜男監督のような偏執があるだろう。映像文化ライブラリーで観たいくつかの成瀬監督は、カットの長い作品もあるが、わりとバランス良くつなぐ感じもあり、エリック・ロメール監督のほうが長たらしく、無駄に思われる点もある。そう書きながら、退屈を感じていた成瀬監督の映画の時間があったことを思い出す。


会話にしても、成瀬監督の方が理論的ではないが、台詞の組み合わせはより台本的であるものの、自然な柔らかさがある。エリック・ロメール監督のほうが生々しくあって作り物らしくないが、観念的な討論の運びがときおり強引であり、そんな時は脚本らしさを感じるも、終着にとびきりの旨味がある場合はすべてが前振りとしての意味に変わる。国民性と文化によるそれぞれの上手さの違いだろう。


そんなことを考えながら今日の作品を観ていて、ここ数日に経験した作品に共通する単語として、家、拘束、自由などが登場する。格言も同様に冒頭にあり、今日は“2人の女性を持つ者は魂を失い、2つの家を持つ者は理性を失う”とある。


その警句がどのように描かれるのか今日も追うことになる。登場する主人公の女性は他の作品同様に痩せ型の少女らしい性質を持った姿であり、ペルシャ的な目が魅惑的な非常に鼻立ちの美しいパスカル・オジェだ。声は子鹿のように可愛らしく、エリック・ロメール監督の作品に登場する女性らしい独善的な面を持っているものの、最近観た映画に登場していた人物に比べれば貞節を持ち、モラルに対しての責任を感じるが、自分の欲する都合の良い自由に生まれた空隙によって痛切なしっぺ返しをこうむることになる。


必ず挿入しないといけない義務でもあるのかと思われるディスコ時代をまざまざに感じさせるダンスシーンがあり、登場人物の素顔が表れる電車の移動と光の射すショットもあるが、この作品は比較的おだやかな調子で流れている。思いこみの強さとやたら哲学的な恋愛観も押さえられていて、演劇的に長いカットも目立って多くはなく、モンタージュはむしろスムーズに進んでいる。


もっとも印象的なシークエンスは、満月の暗い朝になるだろう。裸のベッドで鐘が鳴り、それがどのように道徳心を打つか、それは日本人の自分には決して味わえないものだろう。それからのカフェの会話に「トゥーランドット」のアリアが浮かび、夜と月の幻想に人は欲望を狂わされる、そんな感じを覚えながら、ビストロをはしごする男の話に好感と合理的な家庭の生き方を見る。そして大切な人を思い出すも、その時間に相手はどこにいるのか。この同一時間の立ち位置の違いは、存在する物の最も不可思議な感覚だろう。


拘束と自由、そんなテーマだけではないが、今日の作品にも個人を中心に慮る世界が描かれていた。

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