1月15日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで古澤憲吾監督の「ニッポン無責任時代」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで古澤憲吾監督の「ニッポン無責任時代」を観る。


1962年(昭和37年) 東宝 86分 カラー 35mm


監督:古澤憲吾

脚本:田波靖男、松木ひろし

音楽:神津善行

撮影:斎藤孝雄

出演:植木等、ハナ肇、谷啓、中島そのみ、重山規子、団令子、藤山陽子、峰健二、稲垣隆、田崎潤、由利徹、松村達雄、清水元、久慈あさみ、中北千枝子


好みで言えば、まったく好みでない作風だ。およそ無意味と思える物語に、けばけばしくとても美しいとは言えない女優陣が甘え、あまりに一面的で画一的な男優陣が一本調子のまま騒動を起こしていく。暗さや重さはなく、現実感のない軽薄な展開が続き、福本伸行さんの漫画「アカギ 〜闇に降り立った天才」のように、巧緻はあるとはいえ、もはや何でも可能な強引な世界となっている。


植木等さんの名前は聞いたことはあったが、この作品で初めて動いている姿を拝見した。肩幅が広く、声は渋くよく通り、顔立ちも整っている。それに演技は堂々として見事な人物だ。品性のない女優陣の役柄は何も魅力を感じなかったが、由利徹さんの助平親父っぷりには惹かれてしまった。


正直この映画の何が良いのだろうか。真面目に働く当時の社会の中では、この無責任な人物による成り上がりは痛快だったのだろうか。代弁として、胸がすっとするような思いでサラリーマンは喜んでいたのだろうか。バブルに向かって国全体がブルジョワになっていく品性の乏しさと、何か代償のような馬鹿騒ぎを見るようだった。おそらく、真面目にこの作品の感想など考えてはいけないのだろう、そんな姿勢は間違いでしかないように思える。


好みを抜かしても、映画作品としての構造はそれほどのものではない。役者の演技に見るものが少しあるくらいで、「仮面ライダー」でも見るような気楽なものだった。


そしてすべては、島耕作という登場人物の漫画に一切の面白みを感じない自分こそが、批判的な原因だろう。

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