1月11日(土) 広島市中区大手町にあるフランス料理店「シエル」でシエルランチを食べる。

広島市中区大手町にあるフランス料理店「シエル」でシエルランチを食べる。


帰省の際、夕飯を囲む席で母親は自分に向かって「この子は単純だから」と言い放ち、隣にいた姉は「まあ、素直よね」と装飾を加えた。そりゃそうだ、物覚えのつく頃から言われ続けているから違和感はないが、人の前で遠慮なく口にする大胆な母親こそ、単純を産んだ根源だと妙に納得してしまった。


虚言家の父親は神経質で気難しいが、複雑な性格とは言い難く、表面的な行動の裏にむしろ自分同様の単純な性格がある。決して難しい性格をしていないと自分自身では思っているも、気難しいと言われることはあるから、きっと似たような者かもしれない。おなかが空く、時間に遅れる、この二つに関してひどく不機嫌になるのは間違いなく遺伝だろう。


悩み、落ち込むことはあまりないが、昨夜はぐったりとしてしまった。労働による疲れ、その反動による過食、そして飲み過ぎによる酩酊、それらが些細な事柄に頓着させて頭脳を無駄にすり減らした。


複雑な性格ではなくても沈むことはあるのだと、なぜか文句と言い訳が頭に浮かぶ。単純だから、単純に寝込み、単純に回復して忘れる。とはいえ、胃腸の調子の落ちていることが大きな原因だからと、午前中は食事を抜いて休ませることにした。


すると昨夜フォローを開始した「ホームラン食堂」さんで、今の自分に最適な滋養を与えてくれそうな粥がある。これは良しと行ってみるが、如何せん、すでに食事は尽きてしまったそうだ。この店は食べた回数の何倍も階段を上り下りしている。タイミングが悪いと言いそうになるも、自分の準備が悪いだけだろう。


しかたなくふらふらする。するといつも人の並ぶ蕎麦屋の向かいの店に目がとまる。空腹が普段とは異なる視点を与えているらしい。手軽なランチもある。


入って、サラダ、メイン料理、パンのシエルランチを頼む。腹を回復させることが目的だったので多い量はいらない。メイン料理も肉ではなく魚を選ぶ。ドリンクもなしだ。


昼時なのに厨房の従業員がすこし足りないようだ。食事の提供に時間がかかっている。こんな時の自分は空いた分だけ腹を立てるのが通常だが、空腹を自分で課すような意志のある時はわりに我慢できるもので、のんびりと本を読む。ただジョルジュ・バタイユの「目玉の話」で、体液が散乱する描写は食前に読むのにまったく適していないだろう。


サウザンドアイランドドレッシングらしい明るい甘さにルッコラなどのハーブの辛みが気持ちよい。特に目立ったサラミではないが脂が口にしみる。味覚が食欲を代弁している。パンは食パンらしい甘さでメイン料理に対してやや土台が足りなく思えるのは、蟹味噌のような旨味と臭味が感じられる魚介類の濁ったソースがおいしいからで、海老が主だろうか、主張が強くも赤い体表のキンメダイらしき白身魚ととても合う。ネギ、カボチャ、赤米、白菜で炊かれたとろっとしたおいしさも、今の胃腸に合う。


単純と複雑、昨晩から考えるこのそれぞれ正反対をなすような言葉は、数日前に読んだ「失われた時を求めて ゲルマントの方へⅡ」の解説を思い出す。一般市民も、ブルジョワも、貴族も宿っている精神に階層はなく、同じような言葉遣いをして、同じように様々な政治思想を持ち、同じような間違いもする。性格も時々で、一面を表していたすぐ後に、まるで異なった面を呈することがある。海のように刻一刻と変化しているのが人間だ。そんな言葉が自分の頭に浮かび、単純にして複雑、これこそが人間そのものだと、途中の計算式を省いた単純な答えが導きだされる。


そもそも、問題を単純化することが解決に至る一つの方法で、細かい表現が必要になるから複雑になっていくのだろう。おなかが満たされた喜びを感じながら、遠い視点ならば単純で、近づいてみると複雑に見える、それがすべての物の仕組みだろうと、空を上から見下ろすように、青い球体が頭の中に色鮮やかに浮かんでしまう。

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