12月30日(月) 帰省する。
帰省する。
広島に越してきてから毎年の事となった帰省をする。29日に仕事が終わり、30日の朝に飛行機に乗って東京へ戻るのが定例となっていて、今年は1日早く仕事が納まるも神韻の公演を観ることに決まっていたので、例年通りの日に帰ることになる。
去年は家に泊まり、その前も泊まっただろうか。一度鎌倉の宿に泊まったことがあり、その時はどうしただろうか、おそらく1日だけ実家に泊まったのだろうが、あまり覚えていない。
今年は実家にインフルエンザが流行していて、義姉さん、甥っ子数人が発熱していて、今も甥っ子1人が発熱しているらしい。すでに感染済みの自分は別としても、隔離によって難を逃れた妻とそんな状態の実家に泊まるのは憚ってしまうものの、今年は家族構成が少し変わり、もはや自分達の寝れる部屋が確保できず、新小岩の宿に泊まることになっていた。顔を見せに行くのみだったから、ちょうどよかった。
戻る家族もあれば、生まれる家族もあり、減るのではく、増えることはとてもめでたいことだろう。落ち着いた生活をするまでは、それほど遠くに住んでいなくても毎年帰らずにいた。今は暦と季節に従って生きるように帰るのが当然となっている。
それでも少しばかり昔が懐かしくなる。先程まで読んでいたジョルジュ・バタイユの「マダム・エドワルダ」のパリ、神韻の踊りにインフルエンザで床に伏していた時の澁澤龍彦の「高丘親王航海記」の大理、英国の香りする赤毛の少女の小説舞台ではないロンドンなど、一人で見る遠くや近くの打ち上げ花火や、目の前の騒乱と遠くの歓声に、どこでも寒さは強く、心身は深く冷たく凍えそうだったが、家族でない他人が近くにいて、別に一緒に騒ぐわけではないが、年末らしいうらぶれた寂しい叙情をお互い目立って慰めることなく、少し近づいて分かちあう静かな暗さが思い出される。
もうそんな年の瀬は来ないだろうか。来てはいけないだろうか。いずれ来る気がする。不確かな気分だ。
そんなことを、金魚の尻からの連れものと自覚して入るいつもの広島空港のラウンジの試飲に醸されて、浮かんでくる。いつも思うことだが、飛行機は嫌いだ。この気持ちだけは決して変わらないだろう。
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