11月9日(土) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・オーケストラ等練習場で「ネリオン・カルテット ファーストコンサート」を聴く。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・オーケストラ等練習場で「ネリオン・カルテット ファーストコンサート」を聴く。


ヴァイオリン:佐久間総一

ヴァイオリン:宮崎美里

ヴィオラ:青野亜紀乃

チェロ:マーティン・スタンツェライト


ハイドン:弦楽四重奏曲 作品50・5「夢」

M.P.ベリャーエフ主宰コンサートより弦楽四重奏作品集

アナトーリ・リャードフ:マズルカ

マクシミリアン・ドステン=ザッケン:子守歌

ニコライ・ソコロフ:スケルツォ

フェリックス・ブルーメンフェルト:サラバンド

リムスキー・コルサコフ:アレグロ

ブラームス:弦楽四重奏曲 ハ短調 作品51・1

アンコール

ドヴォルザーク:ワルツ

ガーシュウィン:スワニー(マーティン・スタンツェライト編曲)


演奏前に佐久間総一さんがマイクを持って、室内楽というのはお客さんが入りにくく、オーケストラに比べて難しく思われていると言っていた。世間にはそういう一面があるのかと初めて知り、オーケストラの方がより難しいのではと自分は思った。佐久間さんは室内楽の魅力を……、言葉を失念してしまったが、作曲家の意図を、意匠を……、記憶が混在して確かなことを言えないが、オーケストラよりも身近に感じることができる……、誤解を生みそうではっきり伝えられないが、とにかく、親しみやすいということを説明されていたと思う。


探せば広島市内で小さな演奏会を行っている場所はあるのだろう。金曜日の夜は別の予定に埋まることが多く一度も足を運んだことはないが、オクターヴさんのところでコンサートがあるのは知っている。喫茶店やカレー屋さんでも行われているのを店に行った時にチラシで見た覚えがある。きっと知っている以上に数はあるのかもしれない。


何が言いたいかというと、自分は室内楽も好きだから、広響の実力者による新しいカルテットの始動したことが嬉しいのだ。チェロの熊澤さんやヴィオラの永井さんも室内楽の演奏会で目にする機会はあるが、佐久間さんとマーティンさんも少なくない。定期演奏会以外にもひろぎんやくれしんなどのオーケストラの仕事が多いのに、一体どこにそんな時間があるのだろうかと仕事量に驚かされる。きっと時間を分割して、切り詰めて、捻出しているのだろう。


今回は、とある世間での室内楽同様の思い違いかもしれないが、もはや前菜のような役割として自分の中で確立されたハイドンから始まる。前日に聴いたマーティン・ヒューズさんのピアノでも、まずハイドンから演奏された。はい、どん! などと、くだらない文句が浮かぶほどに、自分はハイドンを知らずに甘く見ているが、フォアシュパイゼに留まらせない無駄のない構造的な美しさと親しみやすさがあり、フィナーレでは作品の持つ奥行の深さを感じさせられた。


今日の演奏会の主題は、この「ベリャーエフ主宰コンサートより弦楽四重奏作品集」にあるのだろう。室内楽は肩肘張らずに仲間と共に気軽に楽しむものであったという小さな歴史がここにあったそうだ。それにしてはあまりにも叙情性が高く、安々と楽しむにはロマンが迸っていて、ソコロフのスケルツォにルーマニアあたりの雄大な自然の風景と疾走が広がり、聴いたことのあったリムスキー・コルサコフには単純でない音楽構造が展開されて、ハイドンとは異なった個人的な内面や自然を写した音楽が燃えていた。まさにトルストイ自身の体験を基にされた小説に読むようなロシアのハイクラスでのサロン音楽だろう。この芸術性の高さが人々の慣習として身近にある点が素晴らしく、この上ない貪欲な贅沢は、スノビズムか、それとも自然なる欲求かわからないが、とても素敵な金曜日が毎週開かれていたことは伺い知れる。


後半のブラームスは、正直つかめなかった。音源で聴いたことはあるのだろうが、フレーズや展開の味わいが得られなかった。マーティンさんの解説では、交響曲第1番ほどではないが、最低8年以上かかって完成された作品らしく、それまでに20曲以上も破棄されたとあった。ふと思い出したのが、交響曲第1番を初めて耳にした時、なんてつまらない曲だと思ったことだ。それが数度聴くうちに、冒頭の弦の響きにどれだけの美しさがあるのかと胸がつまされたことか。おそらく、耳が足りないのだろう。もっとこの曲を重ねて聴くことで、色々と見えてくるに違いない。


アンコールは美しいドヴォルザークに、おっさんのように弾くと言いながら実際は洒落たおじさんになっていたガーシュウィンで和やかに演奏会は終了した。


オーケストラと違って室内楽を生で聴く楽しみはこの距離感で、音のよいオーケストラ等練習場で演奏を前にすると、演奏家の細かい情感が見て取れるので、ホールの舞台上で観るよりも、画面ではない、生身の演奏者の呼吸を感じることができる。それは音楽をただ味わうのではなく、空間をより親密に一体するようだ。こう考えると、小劇場の舞台に近い感覚だろうか。


そしてなにより、室内楽には素晴らしい作品が知っているだけでもたくさんある。知らないのを含めればどれだけあるだろうか。そんな生の音楽を味わえる機会が増えたことを喜ばしく思える演奏会だった。

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