10月2日(水) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・中ホールで「二〇一九年十月 地方公演 人形浄瑠璃 文楽」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・中ホールで「二〇一九年十月 地方公演 人形浄瑠璃 文楽」を観る。


夜の部


解説:豊竹亘太夫


「ひらかな盛衰記」

人形:吉田玉志、吉田清五郎、吉田簑之、桐竹勘十郎、吉田勘彌、桐竹亀次、吉田簑一郎、吉田簑太郎


・松右衛門内の段


太夫:豊竹芳穂太夫

三味線:竹澤團吾


太夫:豊竹靖太夫

三味線:野澤錦糸


・逆櫓の段

太夫:豊竹睦太夫

三味線:鶴澤清丈


「日高川入相花王」

・渡し場の段


人形:吉田簑紫郎、吉田文哉

太夫:竹本小住太夫、豊竹亘太夫、竹本碩太夫

三味線:鶴澤寛太郎、野澤錦吾、鶴澤清允


この夏に愛知の瀬戸の宿に泊まった時に、大阪出身の博物館好きの男性が中国からの女学生に対して、文楽は1つの人形を3人で動かす贅沢極まりない芸だと言っていた。その人は、昔からあるものならば余計な手をつけずに保全することを良しとする重きがあり、ルーブル美術館のガラスのピラミッドはどうかと例を挙げてみれば、全く理解できないと言っていた。香川県の直島の観光も、現代美術館も面白いと思わない人にとって、文楽も同じように無駄と思える要素があるらしい。ちなみに自分は、どちらかに偏るのではなく、古いまま残っている物も、それに創意を加えて新たな形として生み出された物も、良ければ良いというスタンスだ。


年に一度の文楽観賞は今年で3回目となり、毎度毎度もっと広島に来て欲しいと思いながらも、芝居が始まった直後からうとうとしてしまう。この時間は意識が朦朧としていて、視界がはっきりしないだけではなく、見えているようで見えていない。こんな時は、文楽をどうして観に来たのだろうかと考え、楽しみにくるのではなく、わざわざ金を払って耐えに来るという不可思議な行為となる。人形の動きや太夫は、ただ感じるのみで、何も感じられていない。


とはいえ、眠気が長々と続くこともそうあるものではないので、奥に入ってから目が冴えてくると、どうして毎年足を運び、国立文楽劇場のある大阪という土地が羨ましいと考えるか、その理由が思い出された。優雅でいかにも繊細な人形遣いや、太夫の迫力ある語りは一見でわかる上質があるも、奥深さが並々ならないので、今回も研ぎ澄まされた精彩な動きと抑揚のあまりの豊かさはすぐに知れた。特に太夫への関心が以前よりも強くなり、人形を観ていては、古典芸能特有の見事な憑依状態を逃してしまうので、やはり視点が2つは欲しいと思ってしまう。


今回は特に目を引いたのが物語の内容で、取り違えた子供とその後の顛末に、解決をどのように結ぶのか気になっていたら、今とは全く異なる時代背景に基づく、現代の人間も言動の凄みによって思わず飲み込んでしまう落としどころを見せていた。理不尽ともいえるこじつけは確かに理解できるも、それに従わなければならない諦めを伴った人情ももちろんあり、庶民、侍、忠義などの言葉で、当時の世相を色濃く感じられる内容に感情は持っていかれた。取り違えた人に不幸のあるのは、事実を基に描かれた殺人事件の浮世絵でも見たことがあり、間違えによって起こる騒動は類稀な着想ではないが、木曾義仲と源義経の歴史的関係を絡めることで、物語が数段と大きい話となって説得力を持っていた。


逆櫓の段は、瀬戸で会った大阪の男性にどうして人形を操るのに3人必要か、論より証拠として見てもらいたかった。歌舞伎同様に躍動感ある人形の動きを見ていれば、3人の人形遣いは自然と視界から消失してしまい、能面でもそうだが、動きがその物の表情を作ることが理解できる。ただの人形劇ではない、五肢の隅々まで演技する人形だからどうしたって3人に落ち着くのだろう。無駄に贅を尽くすのではなく、意図があってのそれであって、現代美術も決して中身のない作品ばかりではなく、意味にあまりに比重が多くなってしまい、意味がわかりづらい場合も少なくないのだ。


そして最後は、渡し場と渡し船の情景が暗い照明の下で分かれていて、黒い着物に赤い長襦袢が毒々しく綺麗な清姫の悲嘆が、可哀想から恐ろしいへと様変わりしていくのが、長くない上演時間にさっと描かれている。ショートフィルムを観ても同じで、尺の短い分だけ詰まった印象を残す。三人の太夫と三味線の荒々しさに泳がされて、対岸に着いて荒ぶる姿は、おそらく、人形というのはただの形でしかなく、手足と同じで、動かそうという意志によって肉体と道具の境はなくなってしまうことを強い情感でもって表している。それでこそ芸なのだろう。


伝統芸能の歳月をまたもや感じて、来週に大阪へ行くのに、国立文楽劇場へ行かないなんて……、一ヶ月遅らせればよかったのに。とにかく、また来年を楽しみに、忘れてしまおう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る