7月15日(月) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで家代巳代治監督の「みんなわが子」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで家代巳代治監督の「みんなわが子」を観る。


1963年(昭和38年) 全国農村映画協会 93分 白黒 35mm


監督:家城巳代治

脚本:植草圭之助

撮影:井上莞

出演:桑山正一、高津住男、中原ひとみ、辻伊万里、三崎千恵子


オープニングクレジットで、本物であろう疎開先の写真と共にピアノとチェンバロの物悲しい旋律が流れる。この映画は、太平洋戦争中の兵隊や一般市民の困窮の話と同様に聞いたことはあるが、ほとんど内容を知らなかった学童疎開の物語が描かれていた。


軍歌を先生と一緒に歌いながら列を作って元気良く行進したり、防災頭巾を被って校舎から避難するシーンがあった。ふと、自分の小学生の頃は防災頭巾があり、椅子の座布団代わりに敷かれていて、いつからこの物を忘れていたのだろうかと不思議に思った。“右向け右”や、行進が目的の場所に着いても足踏みをやめず、“全体止まれ”、の合図と共に一斉に足を揃えて止めるシーンにも、戦時中の名残りが自分の子供の頃にあったのだと確認するようだった。


“言いつけたらひどいぞ”、“ばかやろう”、などの言葉を生意気な小学生の男の子が言う姿を観ていて、昔の子供は大人っぽいと一瞬思ったが、その子がそのまま大人になり荒っぽい言葉や動作をするのであり、そもそも大人の振る舞いを子供が真似するのが成長の基本だと気づいた。


昔の映画を観れば必ず思うことは、登場人物の個性の強さだ。この映画でも、丸刈り、おさげ、もしくはおかっぱの子供達が活発に、または健気に生活していて、器量の悪い子は味のある顔で、整った顔立ちの子は品格がある。この頃の日本人は今に比べると、大人でも子供でも、大人びているというより、気骨があるのだ。遊びでもぶつかり合い、からかうのも遠慮しない。他人との距離の近さがお互いを磨き合っているので、情緒豊かな表情や動作が自然と根付いていて、演技が上手なのは、それは構えずに、自然のままを演じているからなのだろうか。甘えるシーンでも、叩かれたりしてもかまわないのを、“母ちゃん、母ちゃん”という繰り返される言葉と、母親の背中を何度も引っ張る姿から感じてしまう。


疎開先で生徒を見る先生はもちろんのこと、その一団を受け入れる地域も食料と人手が足りずに苦労していて、子供達が沢蟹を捕まえて自分達で料理をするも、その配分のことで喧嘩したり、食料が余っているのに分けてくれない農家から盗むように芋を持ち出したり、甘いからといって絵の具を舐めたりと、話で聞いていた戦時中の貧窮を観て、悲嘆にくれる演出ではなく、子供達のたくましさを基調に置かれているとはいえ、当時の欠乏を再確認された。


子供達が多く登場しそうな映画だからと、今日の天気の良さに浮かれて観る気を失くしていたが、来て良かった。週末には梅雨もあけるらしいが、今日は夏のような太陽に、蝉もそれらしい雰囲気で鳴きはじめている。


終戦が知らされ、先生は大人の事情で悲嘆するが、子供達は帰れることを喜び、勝手に小さな御輿を担ぐ。この威勢の良さを、足下を、真夏の太陽と空を、カメラは見上げ、長々と子供たちの掛け声は続くが、背後には、冒頭からあり、各シーンをしめやかに飾っていたピアノとチェンバロの旋律が流れていた。


モノクロの暑さを感じる映像のあとに外を出れば、昼の暑さはつのるばかりだ。映画を観ている間に今日の天気の良さを逃してしまうと危惧していたが、そんなことはない。まぶしい日差しが蒸れて、三連休の時間をまだまだ使えることを、熱と光が強く全身に注がれた。

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