7月9日(火) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザリハーサル室で「アステールプラザの演劇学校第7期 『演劇概論』」を受講する。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザリハーサル室で「アステールプラザの演劇学校第7期 『演劇概論』」を受講する。


講師:多田淳之介


役者として演じるわけではなく、舞台関係者として携わるわけでもなく、ただの演劇観賞好きとして知識と理解を深める為にアステールプラザの演劇学校の講座を受講した。他に「舞台美術」、「舞台技術」、「身体表現」があり、どれも興味はあるのだが、アートワークに参加するのを恐れ、座学のみであろう「演劇概論」だけを希望した。


演出家の多田淳之介さんによる講座は、自己紹介から始まり、古代ギリシャなどの演劇の起源や、踊りや絵画とは異なる一人では成立しづらい(一人で演じていてもあまり面白くない)芸術としての位置や、奉納の儀式、民族舞踊からの発展や、日常の身近な存在へのものまねなども演劇の起こりとする説や、猿楽から派生した能楽や江戸時代の歌舞伎など、それに明治維新から西洋の劇が輸入されて、戦後の日本の演劇がどのように移り変わっていったかを年代ごとの風潮などでざっと解説された。また演劇の特徴として、他人が他人を見ることにより、時間と空間の共有などが挙げられ、像を作り伝えるという、普段のコミュニケーションでも行われていることは、家族や友人、同僚に対して、相手によって振る舞いを変えることも演じることとなり、そもそも人間は演じる生物であるという説明もあった。


そのあたりは参考書などでも知れることで、この講座で最も肝要なのは、多田さんの行っている活動だ。つい最近まで埼玉県富士見市にある”富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ”の芸術監督であって、その現場での芸術普及活動の具体的な取り組みの説明が興味深かった。東京から電車で30分という立地にある場所で、どのような事が必要となるのか。昼夜の移動も含めた人口や、住民の年齢層などのデータをマーケティングらしい基本情報として踏まえて、公立劇場の役割となる取り組みを具体化していく。鑑賞事業は、東京から近いという立地により、池袋へ観に行ってもらい、東京にはない作品や活動を発信していく。その一端として、多田さんの演出したシェイクスピアの「ハムレット」の映像を観ると、舞台中央のパイプイスに座る観客を取り囲むスクリーンに登場人物達が映り、観ている側へ話しかけてきて観客がハムレットとなったり、大中二つのホールを使用して劇中に観客の移動をうながしたり、観客と劇、それにホールも一体となった舞台が上演されていて、そこにある数々のアイデアの豊かさに驚かされるばかりだった。それはこの劇場と、多田淳之介さんの演出だけによる特徴的な演劇が存在していた。


多田さんが才能のある人だと理解できたのは、地域の人から成るリージョンカンパニーの取り組みで、公立劇場の役割となる、創造発信と教育普及、人材育成として催しを開き、1年目が子供向けに、2年目が福祉をテーマに、そして3年目が世界として、子供でもない自分でも参加したくなる内容で構成されていた。特に等身大の人生ゲームが面白く、まずゲームに参加するのにプロフィールをくじでひくのだが、例として、おだやか、ひかえめ、ようき、などの性格の一面が張り付けられていき、ふと、相反する、同居できないと思われる組み合わせもあり、家族構成も母、母、鳥、などの、二人母親がいるという複雑な事情を持ったものになり、これだけでも笑ってしまったが、大切なのはこの環境をゲームに参加する人が想像して演じることにある。どのプログラムも、入り口はわかりやすく、楽しく、そして必ず想像力を働かせる。ばからしい、ありえない、そういうことではなく、とにかく想像力を働かせること、これが他所とのコミュニケーション能力の形成に役立ち、チームワークを活かすものとなり、演劇でも絵画でも、音楽でも、あらゆる芸術活動にとどまらず、娯楽にも、商売にも活かされる人間としての豊かな能力を育むことへとつながる。そのきっかけを作る様々な発想が素晴らしく、この人の演出作品は必ず面白いものだと楽々に予測できるのだ。


芸術をわからないものとして、理解する前から諦めているような人達に対しての働きかけを、アウトリーチという言葉で示していて、富士見市では演劇を観たことのない人達がチケットを売るのを手伝ってくれて、それをきっかけに演劇を観て、わからないながら回数を重ねていると、なんとなくでも、どの作品が良かったという感想が生まれたそうだ。


このような話を聴いていると、ふと、広島市現代美術館を思い出した。ひろしま美術館と広島県立美術館に比べると来館者は少ないが、子供を対象としたアートワークが行われているイメージがあった。ただ他を知らないだけで、頻繁に美術館へ通うわけでもないからはっきりしないが、音楽のコンサートが開かれているのは知っていても、子供と実際に関わり合う催しが行われていた記憶はない。来場者が少ない、と行く度に文句を言っているが、現代美術館の関係者は多田さんのようにアウトリーチとしての働きかけをしているのだと納得した。


市民劇場はこの講習会に参加していた役者さんとは演劇の中のジャンルは少し異なるかもしれないが、会員数の減少は少子高齢化と共に推移して、自分は今日の受講生では年上の部類に入るのに、市民劇場の会員の中では若い人と呼ばれる。演劇という枠でも細かい棲み分けがあり、その差も気になったが、最近会った音楽好きの人が、声楽家はオーケストラのコンサートに行くと眠り、バロック音楽の演奏家にロマン派だったか、そのあたりの音楽の話をしたところ、新しい音楽の話をするね、みたいな返答があったというのを思い出した。仮に誇張だとしても、自分が思っている以上に住んでいる世間は狭いのかもしれない。


今年の市民劇場の11月例会に来る仲代達矢さんのインタビュー記事を最近読み、役者が良い作品を作らないから観る人が少なくなっていて、スマホがだめにしているみたいな意見もあるが、最近観たイギリスでの劇は満員で、劇が終わってから多くの人がスマホをいじり出すというので、結局、別のものだということらしい。ただ、役者にも責任があるにしても、観る人間にも責任がある。浅薄なものばかりに接していては、人と人との芸術である演劇を理解する想像力が乏しくなってしまう。


区民文化センターには、市民向けの講座がたくさんある。書道や茶道、踊りに歌、俳句に朗読など、それぞれの分野が目的を持って活動している。ごく身近な人でも、インバウンドという言葉ばかり口にして、アウトバウンドには目が向かない人々に対して、パック旅行ではなく、現地の文化を直に感じられる個人旅行を知ってもらおうと、食を入り口に働きかけている。そんなに難しいことではない。それを知ってもらうのは芸術も似たもので、多田さんと対象が違うのは、大人に対しての活動だ。子供は柔軟だから受け入れやすく、大人を変えるのは難しいそうだ。


受講中にアウトリーチの関係図をホワイトボードで見ていると、劇場に自発的に足を運ぶ人の存在も描かれていた。その人は実際に役者として活動するわけではないが、受けてとして積極的な人だ。それは自分かもしれない。そういう人達も、自己で完結することなく、他へと移す火の粉のような役割が大切だそうだ。


そもそも、演劇にしても音楽にしても、好きというのが第1の理由だが、第2の理由に、小説を書くのが好きだから、作品に反映されるように自分にたえず刺激を与え続けることが重要だ。文体を変えるには、自分を変えればいい、そんなような言葉を聞いたことがある。誰かに刺激を与える為に芸術に触れて、文章を書いているわけではないが、観て、書く、これを続けていれば、少しは広島の文化活動の紹介になるのではないかと思った。ただ、そのためには、誰にでもわかる、要点を絞った、端的で、短い文章で伝えないと読まれないだろう。それが自分にはない。


色々と刺激があり、多田さんの発想の豊潤さと物柔らかな人間性を見習おうと思った。終了後に、懇親会があるのを知っていて、やはり腹が減っていたので、参加する人を様子見してから待ち合わせ場所へ行ってみると、ほぼ女性ばかりだった。


懇親会で役者さんと部隊関係者さんの話を聞き、学んでから話すという、ろくに学校で勉強してこなかった自分が、今さら疑似体験しているのが不思議で、すでに遅いが、遅すぎることはないだろうと、何かの警句が頭によぎった。

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