7月7日(日) 広島市西区横川町にある山小屋シアターで「劇団Tempa第11回公演 『生きてるだけで、かすり傷』」を観る。

広島市西区横川町にある山小屋シアターで「劇団Tempa第11回公演 『生きてるだけで、かすり傷』」を観る。


作・演出:原かおり

舞台監督:木村聡

出演:三上雄大、原かおり、久保幸路、岩本真由美、西村慎太郎、原島絵梨佳


東区民文化センターで観た前回公演の「素晴らしい秋日和でございます」が良かったので、再び劇団Tempaの公演を観に行った。今回は前回と異なり、それほど広くない山小屋シアターでの公演となった。


RCCラジオで、どの人物からか忘れてしまったが、「死ぬことが最悪で、それ以外はかすり傷みたいなもの……」みたいなことを聞いたことがあり、とても説得力と諧謔性を持った力強い言葉だと笑ってしまったことがある。笑いほど、人生の中で頼りになるものはないだろう。


舞台は客席から近く、横はそれほど広くなく、高さもあまりないので照明も近く、熱く、出演者にとっては大変だっただろうか。白塗りが9個に、黒塗りが1個の木枠の小道具がテーブル、イス、ベッド、姿見などになり、照明の数と種類も多くないので、演出は観客の想像力に頼るところが大きかった。


今日観たのはトランスジェンダーを扱った作品で、中学生という思春期の戸惑いに揺れ動く成長過程の中で、青い恋愛の中で自己の性についての疑問に気づかされ、悩み、人生を進んでいく内容だった。


そんな風に説明すればなんと味気ないものだろう。実際に劇を観ていて感じたのは、トランスジェンダーという言葉に含まれる個人の悩みがいかに重大なものかということだ。


考えたのは、自分は小学生の時に、体が細く、足が誰よりも細かったので、それを見られるのが嫌で半ズボンを履きたくなかったことだ。相模原から町田へと小学校を転校して、まず確認したのは同じクラスの男子の足で、それから全学年だ。似たような細さは数人いたが、似ているということはそれ以上ではなく、多少は慰めになるが、少ない数では根本の解決にはならない。このコンプレックスはバスケットボール部だった中学生の時も続き、高校生の時に部活動をしなくなって解消された。


たかがこんな、他人からしたらちっぽけなことが大きな悩みとなっていたことを考えると、生まれて、物覚えがついた頃から、女性の体に男性がいることが普通で、あとあと男性器が生えてくると思っていた人物が、生えず、恐るべき生理がきて、胸が膨らみ出したことを身にあてはめてみて、思っていたこととは違う現実が、誰にも悩みを打ち明けられず、告げれば世界が崩壊することの間違いのない事実が、毎朝の鏡の前で自分の体の膨らみに見るとなると……、あまりに苦しい個人的な事情だ。


実家に住んでいる時も、旅行中でも、広島に住んでからも、トランスジェンダーの人に出会い、思ったことは、特にない。男性も、女性も、それぞれが人間で、初めて会った時も、ああ、こういう人なのだと思っただけだ。むしろ、どの人も柔らかみがあり、優しさと、こちらを安心させる度量を持つ傾向があった。それが痛みを知っているから、などと理由をつけることはできないが、普通といわれる性を持つ多くの人のほうが、人間としての魅力に欠けているように思える。なぜなら、大勢いて、代わり映えがなく、あくまで普通で、人間性の持つ悪の部分も、頑迷で偏った価値観や、珍奇な出来事や流行から外れた概念への理解の乏しさも、普通に持っているからだ。


トランスジェンダーについて調べたことはなく、この作品の主人公の青年の位置関係についての理解も知識として持たないが、個人個人、それぞれが多かれ少なかれ悩みを持っている。ただ、トランスジェンダーということは個人を越えて、家族、友人、学校や職場などの社会環境を大きく左右させるから大変だ。登場する母親がトランスジェンダーらしきことを告げられて「本人はすっきりした気分だろうけれど、言われた方は……」のような台詞があり、とても鋭かった。足が細いというコンプレックスなどとは比較にならない問題の大きさがこの一語にあり、本人の心の解決も容易でないのに、周りの理解も同じ大きさで問題となってくる。大切な我が子は自分同様だから、親も同様に、もしくはそれ以上に苦しむのだ。


舞台は、リズム良く、少ない照明も効果的に、限りある空間でコメディを含めつつ、真面目な演出で人物関係を描きだしていた。各出演者、演出に見所はいくらでもあるが、個人的に面白かったのは、主人公の青年守嗣が陽気な音楽にのって女装するシーンがあり、背を向けて踊り、それで着替えする守嗣を隠す久保さんの姿が、おかっぱの髪にフランネルか羊毛のような質感の青い、なんという名前かわからないが、古風なフランスのマダムが被っていそうな帽子姿がとても似合っていた。


それともう一つあり、中学校を卒業して、女子生徒の制服に着替えて旅立つ守嗣に、母親が口紅を塗ってあげて、それを鏡で見て、正確な台詞は忘れたが「制服に口紅はまずいよ」みたいな意味を嬉しく、戸惑いながらつぶやく演出に、笑みが浮かんでしまった。この前後から、この言葉が発せられる場面は、本当に大好きだ。


アフタートークがあり、この劇の協力者として「ここいろhiroshima」の共同代表の富山敦己さんと、高畑桜さんが登場して、トランスジェンダーの等身大を触れることができた。


劇の登場人物は切実な、いくらでも存在する人間だ。男性的というよりも、むしろ女性的な性質を多く持つと自覚する自分も、悩みやコンプレックスはあり、足の細さはむしろ好ましい性質として今は捉えているが、昔よりもはるかに長くなった顔や、顎のたるみ、数えればきりのないほど自身の体や性格に文句を言うことはできる。だが、仕方のないことだ。出来る範囲で努力して、自身を魅力のある人物になるよう努力する以外にない。


男性、女性、中性、カテゴライズよりも、その人物がどうあるか。普通や普通じゃないなどのあてのならない根拠の枠よりも、そのままその人を見て、判断すればいい。好き嫌いに、年齢や性別など関係ない。簡単に区切れないからこそ、魅力があると思うのに、世界はそう簡単ではないらしい。


などと、色々考えさせられる好舞台だった。

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