6月22日(土) 広島市中区小網町にあるラーメン屋「汁なし担々麺 楽」で楽次郎ラーメンを食べる。

広島市中区小網町にあるラーメン屋「汁なし担々麺 楽」で楽次郎ラーメンを食べる。


酒を飲んだらラーメンを食べたくなる。最近はラーメンを食べる機会が減ったので、なんだか珍しく思える。


どこで食べようかと、平和記念公園のベンチでぼっとしていたら、ふと自分が鶏そばを食べている横で、新しく始めた二郎系のラーメンを食べている人がいた光景がありありと浮かんだ。これを食べることにしよう。


さっそく「汁なし担々麺 楽」に行き、楽二郎ラーメンを券売機で買う。券売機の下に、麺ハーフあり、チャーシュー1枚抜きあり、などと書いてあり、そのボリュームに少し恐怖する。


そもそも、なんで広島に“二郎”の名があるのだ。学生の頃、ラーメンが好きな友人とサーフィンに行った帰りに、なんだか“二郎”というラーメン屋がやばい、という噂を確かめるために遠回りして寄り、並んでから入り、たしか普通よりも多めの注文をしたのか、ニンニク、野菜、なんだかよくわからないことを訊かれて戸惑い、出てきたラーメンにたまげた。麺がうどんより太く、スープがぎとぎとに濃く、野菜が山盛りで、分厚いチャーシューがそのまわりを張り付き、いくら体を動かして腹が減っていたとはいえ、半分も食べられなかった。帰りの車内は、二人で、気持ち悪りぃぃ、気持ち悪りぃぃ、と言いながら、途中コンビニで車を停めて休み、二度とあんなまずいラーメン食べるかと思った。


ところがこれは誰もが経験することなのだろう、忘れた頃に無性にあのラーメンが食べたくなるのだ。気持ち悪い記憶だけなのだが、あの怪物のような食べ物にもう一度挑戦したい気持ちを呼び起こすダシが入っていたのだろう。それが何かは知らないが、もう一度食べようと一人で何度も店に向かうが、常に閉まっている。結局、“二郎”のラーメンはその店では以後食べられなかった。


町田を一年くらい離れてから戻ると、「ぎょうてん屋」というわりに新しくできた店が、横浜系のラーメンだけではなく、いつの間に“ぎ郎”というラーメンを提供していて、それを頼んで、なんてボリュームのラーメンだと思った。その時は、これが“二郎”の影響を受けたラーメンとは知らずに、なんだか似ているなぁ、と思うくらいで、リンクしなかった。


始めて“二郎”のラーメンを食べてから約10年後に、松戸に“二郎”のラーメン屋があると知り、江戸川沿いを必死にチャリンコをこいで、いざ店に来てみると、開いている。この感動はなかなかのもので、あの怪物にようやく再挑戦できると注文すると、なんだか、「ぎょうてん屋」のラーメンみたいだと思い、そこで初めて、“ぎ郎”、その名前の意味がわかった。昔に食べたような迫力はなく、そもそも野菜少なめの、ニンニク少なめの、怯えた注文をしたものだから、完食できた。それほど苦労せずに。おそらく、約10年の間に、町田の「大勝軒」のつけ麺や油そば、それに京成高砂駅近くの店のつけ麺などを食べて、量とこってりに苦労してきたからだろう、もはや“二郎”は、記憶していたほどの怪物ではなかった。控えめな注文のせいがあるにしても。


とにかく、今になって広島に“二郎”系ラーメンが出現することに、不可解なタイムラグを感じて、ついつい手を出したくなった。見た目は“二郎”だ。出てくるまでに結構待ったから、それなりの調理が必要なのだろう。


スープは、すでにニンニクに飲まれている。背脂、醤油、ニンニクが強い。これが楽二郎か。てっぺんに乗っている刻みニンニクが、歳月に弱った自分を思い知らす。こんなの食べたら、おかしくなる。すぐに形を崩さずに端に寄せて、スープに落ちないように気をつけながら食べる。麺は太いが、これがおいしい。ダイレクトに小麦の味がするので、味の濃いスープに合う。チャーシューは……、脂肪しかないように思える。肉身の旨さではなく、脂で襲いかかってくるので、これは痩せの大食い型の自分だからこそ、てきめんに腹にこたえる。3枚か……、耐えられるだろうか。


卵はそれほど味は染みていないが、中は黄身がとろとろして美味しい。卵は味付けになるだけで、こうも胃への負担が増すのは何故だろう。チャーシューと似た強さを持っている。


途中から、自問自答の苦行のようになる。麺の量が減ると、やはり刻みニンニクはスープに少しずつ落ちているらしく、ニンニクの風味がどんどん増してくる。それに醤油と背脂の強烈な組み合わせだ。“二郎”のラーメンは……、気づけば、“二郎”のラーメンの味など覚えていなかった。ただ、ニンニクと醤油、背脂を食べていたのだろう。繊細な味わいの記憶などあるはずもなく、岩石を体にぶち当てられたような印象だけで、その中身など空っぽだったと、楽二郎を食べながら考える。胃腸は大丈夫だろうか。明日劇を2本観るのに、ニンニク臭い男になってしまうのでは。間違ってもおならなどできないじゃないか。


最初から食べきることなど諦めていたが、なんだか完食できそうになると、刻みニンニクの全てがスープに落ちてしまい、それから麺を食べると、ニンニクの風味というのは限界値が高いのだと思い知らされた。極めて強いニンニクの風味が麺に纏わりついていて、この刺激に、醤油、背脂が加わると、悪くない、悪くない、体に悪い味になるのだろう。これはまずい、味ではなく、体にまずい。


どうにか麺と野菜を食べきり、普段はラーメンのスープは全部飲み干すが、当然そんな気など起こらない。自殺行為だ。それでも最後にレンゲでスープを啜ると……、なんて味だろうか、ニンニクがスープ一杯に繁殖している。こうなると破滅だろう。


“二郎”の魅力は、それを食べた人それぞれが持つ語り尽くせない経験の中で培われるのだろうが、自分は、ふと、ニンニクと背脂に中毒を起こしているだけだと思ってしまった。


おかげで、自宅に着く前に腹が痛くなり、1時間は横になった。

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