4月27日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでタデウシュ・コンヴィツキ監督の「サルト」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでタデウシュ・コンヴィツキ監督の「サルト」を観る。
1965年 ポーランド 106分 白黒 日本語字幕 デジタル・リマスター版
監督:タデウシュ・コンヴィツキ
出演:ズビグニエフ・チブルスキー、グスタフ・ホロベック、マルタ・リピンスカ、イレーナ・ラスコフスカ
冒頭で、男が列車から飛び降りようとする。その映像から去年の「ポーランド映画祭」の記憶が浮かび、イエジー・カヴァレロヴィッチの「影」が思い出されて、飛び降りた後の男の顔に着目していると、「影」のように顔が判別できないほど傷んで死んでしまうようなことはなく、目立った外傷なく立ち上がり、少し足を痛めたらしい歩き方でその場を離れていく。
それからは迷妄というか、支離滅裂というか、物語の筋の読み取れない展開が頻繁に移動するカメラワークで進んでいく。台詞が多く、その意味がつかみとれない。爆弾の話や、街から人々がいなくなった話などに、ポーランドでの第二次世界大戦の歴史とその影響が組み込まれているのはわかる。縦に引き伸ばされた映像で、兵士が三人やってきて持っている紙を広げ、それから画面に銃を向けるカットには、過去のトラウマらしき印象だろうとわかる。だが肝心な話がなかなかつかめない。
そのまま物語と呼べない映像の構成は続くのだが、アレゴリーと疑ってしまう個性的な登場人物が何人も現れて、より混乱していく。遠くに響くのが鳥の声から、教会の鐘に変わり、ハンマーを打つような作業の音などになり、やはり寓意的な通奏低音のようで、疑いを持ってしまう。
途中から疑うのをやめることにした。そうできればいいが、そうもいかない。それでも特異な登場人物達に慣れてくると、造形の美しい見目と演技に集中されていった。女優たちは誰もがロボットのように顔の部位が整い、その中でも特に主人公が勝手に住まう家の娘は、ヘビクイワシのようなカールした長い睫毛を持ち、その顔だけで暇なく観ていられる。男優も、高い鷲鼻、禿げ上がった知的な額など、ポーランドのユダヤ人との関連性をうかがわせる顔だ。
わかりづらく、わからない話が進んでいくと、とあるホールでの記念日のパーティーが始まり、やはり話のつながりはわからず、各登場人物の話す内容に注意していると、リズムのあるカメラワークと各登場人物にスポットのあたった演出が組み合わさって盛り上がり、気づけば二度と忘れないほどのダンスシーンに突入する。ここの音楽と、動きの流れは本当に見事だ。パンフレットにも、ポーランド映画史に残る名シーンなので必見、と書かれているのもうなずける。
そこが終わると、話のおちがつけられる。だからといって、何かが解決されるわけではなく、暗澹と広がる疑問は残り続ける。それは、人間、世界、社会などの、大雑把で大きな対象への対峙で、思索したところで、解決できず、疑問を繰り返してなんとか過ごしていくようなものだろう。
昨日の映画とは違ったある種の退屈さを持つ映画だが、大仰とも言える詩的な台詞や、芸術至上主義に向かったのかと決めつけてしまいそうな難解な構成は、誰もが楽しめるものではないとはいえ、個人的に嫌いな映画じゃない。ダンスシーンはたしかに、それを観るまでの忍耐を納得させるだけの、なんともいえない感慨を確実にもたらしてくれる。
それに、登場人物それぞれが、とても愚かな人間性を諧謔に体現しているようで、とても味わい深いのだ。
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