3月31日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ多目的スタジオで「MONO第46回公演 はなにら」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ多目的スタジオで「MONO第46回公演 はなにら」を観る。


作・演出:土田英生

出演:水沼健、奥村泰彦、緒方宣久、金替康博、土田英生、石丸奈菜美、高橋明日香、立川茜、渡辺啓太


右手には、2階建てのトタン壁に連なる白い木造りの開放的なテラスに、左手には、くすんだトルコ石のような色の小屋があり、その2つの間の後ろに石積みがあり、そこにはシダ植物が生えている。アメリカ南部や、ロシアのシベリア地方で見た家屋に通じる材料と色合いには、開放的な雰囲気があり、島の物語という設定を知る前から舞台装置は物語の土台を作っている。


火山の噴火と、その被害によって家族を失った人々の集まりと暮らし、欠けた箇所を埋め合わせるように繋がった人間関係は、親類ではない他人同士によるものだが、短くない年月が関係性を深めて、自然の働きによって着生し、別れがたい拠り所となっている。


聞き慣れない方言に、特産の果物のレモン、静岡という地名、聞いたことのない島の名前、雲仙普賢岳の厄災や、数年前にあった火山噴火などの記憶が混在が、三宅島あたりを舞台にして、知らないが、実際に知っているような事実として錯覚してしまう。


舞台の運びはとても丁寧で、それぞれの人物像も似た登場人物はおらず、瞭然としている。教師と教え子の新婚と見紛う義理の親子関係、古い3人の男友達がそのまま関係を保ち父親のような役目となり、若い女の子2人と男の1人を育てる。それに島を逃げたように生きていた男も加わる。


その人間関係のやりとりは、やや唐突で、固定化されたようで、台本に従いきった一方的な会話と思える場面もあったが、登場人物の背景と心理は考慮されていて、真っ直ぐに感情と関係性は顕在化されていて、それを表す演技は見ごたえがあったはず。


本当に残念なことに、座った席が観劇の味わいを多く削いでいた。前後の席の段差があまりないので、前に座る人が背の高い人ならば、カメラに張り付いた虫のように画面を埋めてしまい、それが二人ならば、すこし太めのトーテムポールが二本立ち、舞台の五分の二を隠していた。その裏で、俳優は何度演じただろう。それを観ようと頭をずらせば、後ろの人はより見えなくなってしまうので、見えないことを飲み込み、背筋はそのままに、セリフを聴くのみにとどまる。


休憩は挟まず、幕の移り変わりは照明が落とされるだけで、装置はそれほど変化しない。シンプルで、演技に集中される舞台だっただけに、尻の痛くなるパイプ椅子を含めて、普段はそれほど不満を持たない観賞席の環境が気になった。


それなら、もっと早い時間に入場して、良い席を取ればいいだけの話だ。その努力を怠った報いを、ついつい述べてしまう。


市民劇場で観るような、余計な踊りなどの飾りで誤魔化さない、誠実な劇だった。だからこそ、その演技をもっと観たかった。

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