3月23日(土) 広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「美術館の七燈」を観る。

広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「美術館の七燈」を観る。


1989年に国内初の現代美術を専門とする公立館として開館し、その30周年記念として、活動の軌跡および美術館建築を中心に、コレクションや資料、新作などを全館を用いて展示をするのが、今回の特別展だそうだ。


ひろしま美術館や広島県立美術館に比べると、立地と、現代美術作品の馴染みにくさのせいか、来場者は常に少ない。今日もそれほど多くなく、約2時間の滞在で、二人の両手を開けば足りるほどの人数……、という印象で、もう少し多かったかもしれないが、他と比べると寂しいものだ。


たしかにここの美術館は来るまでが少しだけ億劫だった。はじめは自転車で比治山を上がり、はあはあ息を切らしていた。それからバスに乗ってくるようにしたが、乗り過ごすことが何度かあったのでやめた。今は神社の脇から道に入り、階段の下に自転車を停め、小鳥を探しながら美術館へ登っていく。これは小さな楽しみで、初春の今は、メジロがいたり、家の近くでは見つけにくい鳥が潜んでいる。見つけられなくても、山らしい自然を少しだけ味わえる。


開館して30年も経つのだと驚いた。建物じたいにそれほど古さは感じないし、館内は清潔で、展示スペースも広く、立派な美術館だろう。マンガ図書館の方角から階段のモニュメントを上がると、水の音に、小鳥のさえずりがあり、上りきって後ろを見返ると、高低差と遠近感はやや懐郷的な視点を持てる。館内入り口付近から望くムーアの広場も立派な風格がある。市内にある美術館で、もっとも懐のある建造物と空間だろう。これだけでも十分来る価値はある。


今日の展示は約半分しか観なかった。2時間という制限があったので、作品を観流すよりも、また来ればいいと決めた。


「観客」

参加によって成り立つ表現


この展示は館内に入ってすぐにある。すぐ右に、安部泰輔の「太郎の泉」があり、古着の端切れなどで岡本太郎の作品らしい色使いとデザインが大きく地面に造形されていて、ふと近くの壁を観ると岡本太郎の「明日の神話」がある。キャンパスに油彩のこの作品は、岡本太郎らしい暴力的で落ち着きのない色彩と流れにあり、どうも岡本太郎は好みになれない。


「蔵とシンボル」

美術館建築と野外彫刻


最初の展示室に入ると、窓の広い採光された部屋に、ヘンリー・ムーアの作品が等間隔で展示されている。まず、「スカートをはいた横たわる人体」に釘付けなる。制限時間の制約はここで破壊されて、とてもすぐに置いていけない。彫刻はこんなに素晴らしかったのかと感動しながら、ついつい文章によるスケッチをしてしまい、足を伸ばすスカートの姿はまるで優美な手のように置かれていて、体の置かれた方形のブロンズの板は緑青で、錆色がところどころに時代を経たように班を残し、この色合だけで青銅器時代という神話へと錯覚させ、ふと人体を見つめると、横顔はライオンのように額から顎のラインになり、眼は感情を持たない点で、それでいて胸には玉の膨らみがあり、されど肩は張って骨格の力強さがあり、上半身は男女の性が混合して、下半身はマニエリスムのように引き伸ばされてしとやかな女性で、この四角い板の中に、建築模型を観るよりも生力に張る舞台の持つ空間が存在していて、厳粛でありながり、魅惑的な、半獣の神を崇めるような禁忌さえ感じる、などと、午前の光の中で時間を消費する。


ヘンリー・ムーアの彫刻だけでもう満足するほど、ヘンリー・ムーアの作品に見入る。「帽子をかぶった女性立像」は後ろから観るとしなやかな体の線から女性を強く感じられるが、前を観れば、快活とも不気味に笑う、鼻の大きい、老婆の顔がある。「女のトルソー」は上半身から腰つきがひょうたんまでいかなくても女性らしいラインだが、腕や首がなく、動脈を切断され、摘出された臓器のような形態にみえる。「三つの直立したモチーフ」は顔も腕も、足もわからないくしゃくしゃの形態が三つ立ち、それはまるで鼎談するようで、体の向きだけで口論よりも親和のある会話がみえるようだ。「アトム・ピース」は大きく、ヘルメットのようにつるっとしたまるっこい上部は近代的な兵器らしい印象があり、木材らしくみえるほどの茶色い光沢からは爆発力をもった何かを有しているようだが、下部はひっかき傷が無数にあり、太く深い傷の窪みからは緑青のブロンズが見える。この作品を少し離れたところから観ると、その存在感は立派な彫刻として空間にいる。彫刻は、舞台と似ている。映画では観られないものが舞台にある。それは空間への影響力で、それは平面な画面では決して作り出せない効果だ。


正直、ヘンリー・ムーアで満足したほどだ。それから、広島市現代美術館を設計した黒川紀章のドローイングの資料や、内外に階段モニュメントを作った井上武吉の彫刻と、トレッシングペーパーにインクや鉛筆で書かれた作品を観る。


黒川紀章さんの木版作品は、明度は強くないが暗くならない色に線は際立ち、それがコラージュ作品のようなデザイン性の高さを持ち、筆記体のような軽妙洒脱な作品もあれば、紺、赤、水色で、絣にでも観る和の模様のような印象を浮かばせているのもある。建築を描いているのに。


井上武吉さんの作品は、「昆虫8 眼」は鉄とガラスが使われていて、有機的な柔らかさの少ない人工的な線で鉄の部品は造形されていて、虫らしい節足があり、最も機械的な性質と性能を持たされた昆虫という種の温かみのなさがよく感じられた。トレッシングペーパーの作品は、まるで人体の切断面、脳、くねった腸、医学書のイラスト、それもアリストテレスの時代の天文学のようで、人の毛髪、過剰に発達した蘭の花、ビカクシダのような葉の形状、腸詰めのレントゲン、メタモルフォーゼしたタツノオトシゴ、法螺貝のようなうねり、人体を模した濃い煙、などなどのイラストから、哲学的、かつ論理的な思考の頭の良さでも貰い受けるような錯覚をする。


ここで集中するのはやめて、あとの作品は何も考えず、呆けたままぷらぷら展示室を歩くだけ。気になる作品に吸い寄せられるのをこらえて、ぼけっとする。


第3章「ここ」

広島、ヒロシマ


これ以降は後日観に来よう。無理に一気に済ませない、分散が良い仕事をするのだ。

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