3月9日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで鈴木清順監督の「東京流れ者」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで鈴木清順監督の「東京流れ者」を観る。


1966年(昭和41年) 日活 82分 カラー 35mm

監督:鈴木清順

出演:渡哲也、松原智恵子、川地民夫、ニ谷英明


萩を旅行した時に、武家屋敷の連続により、「また家か!」と嘆息したのを思い出した。屋敷そのものは見どころがあるのだろうが、観る人間の感性が駄々をこねてしまい、良い点を見つけようとするのではなく、あら捜しをするようなひねくれた真似をしてしまいたくなる。


若い渡哲也さんの演じる人物が、やけに型にはまった仁義な男を貫き、それがつまらなく思える。ひたすら男らしさや、粋な男が演じられているが、自分にはその良さがいっこうにわからない。端役の人物達のほうが顔に良い皺があり、味がある。渡哲也さんは確かに見た目は良いのだが、なんだか青臭いのだ。


全編に繰り返し流される主題歌も、しつこい。悪くない楽曲ではあるが、多用しすぎていて、「砂の器」のように曲と映像が絶妙に融合するのではなく、曲を無理に盛り上げるような追従的な映像からは、旅情など感じられない。流れ者の悲哀などなく、ただ人々が、殴り、拳銃を撃ち、暴れまわっているばかりで、前半の短いカットの連続から話にのめり込めず、後半も味気なく観ていた。鈴木清順監督の美学に基づいたセットや衣装が、この映画に限っては白々しく観えてしまう。


この映画で良く思われたのは、雪国の映像や、悪さと風格が出た川地民夫さんの表情や、松原智恵子さんの歌声くらいだ。


深く見ようとしないから、この映画から深みは感じられなかった。

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