2月5日(火) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで市民劇場2019年1~2月例会劇団文化座の「三婆」を観る。
広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで市民劇場2019年1~2月例会劇団文化座の「三婆」を観る。
劇団 文化座
原作:有吉佐和子
脚本:小幡欣治
演出:西川信廣
出演:佐々木愛、有賀ひろみ、阿部敦子、佐藤哲也
一人の男を縁故とした60過ぎの3人の女性が共同生活をする。陰口をして、背後で手を結び、目の前で手のひらを返す。男性ではこうも小気味よくひらひらと身を変えない。酸いも甘いも吸い尽くした女性だからこその変化と厚かましさで、時には苦笑しておぞましく思うも、愛らしさはいつだって女性は持ち続けている。
描かれるのは人間の老いだ。長く生きれば生きるほど、じわりじわり周囲を固めていく孤独を避けてこその共同生活だろう。いわば助け合いで、気が合わず、喧嘩ばかりしても、誰もいないよりかはましなのだ。
劇を観ていて思ったのは、老いると、その人間の理性も衰えて、しまりがなくなり、持っていた性質がより強固に表れてしまうのだろう。嘘つきはより派手な嘘をつき、世話好きはよりおせっかいになるのだろう。人にどう思われるよりも、意識はより自分に注がれて、他人からの目など見れず、自分の目を通して屈折して人の目を見ているのだろう。
劇から、自分の老後が想像できる。今でさえ、子供の時から持っていた性質は変わらず、より恥知らずになり、塑性を失っていくのを感じているのに。
今日の劇で扱われた問題は、市民劇場という運営会そのものに切実に直面している。話を聞いたり、資料を読んで、年々会員は減っていることを知る。昔の若い会員が今は高齢者となり、年金では会費を払え続けられなかったり、色々な家庭事情で観劇をやめていくらしい。
若い人が会員になればいいが、世代交代はうまくいってなさそうだ。今日の観衆も白髪頭の人が多く、黒髪の人はそれほどいない。クラシックコンサートの観衆も年齢層は高いが、市民劇場ほどではない。民音の観衆も年齢層は高かったから、市民劇場のような問題もあるかもしれない。
かたや、若い劇団や、喜劇要素の入った劇、コンテンポラリーダンスなどは若い人ばかりで、中高年はそれほど多くはない。去年の蓬莱竜太さんの劇も、多くは若い人だ。
どうしてこんなに差があるのだろうか。自分の好みでいえば、市民劇場で観れる劇団のほうが圧倒的に質は高い。それなのに会員が増えないのは、観劇離れだろうか。いや、劇の質が違うのだろうか。派手で感情的な会話ややりとりがあったり、時間軸が曖昧だったり、現実と非現実が混同されたりするからだろうか。
ふと昔の日本の映画を思い出す。昔はあらゆる点で質が高かったのだろうか。音楽も、劇も、テレビも、人間の性質も、今と違うと言ってしまえばそれまでだが、飽和状態にあるような気がしないでもない。何か根本的な生命力の大きさが異なっているような気がする。
年配の人は若い人に比べると映画でも劇でも、音楽でも、観賞マナーがよろしくない。恥知らずな老いの性格が大多数に表れて、おしゃべりする、口をならす、飴玉をなめる、携帯のマナーモードの操作を間違えるなど、若い人の持つ慎みに欠けているのは事実だろう。老年の人が全員そうとはいえないが、やっぱり老人は少しだらしがない。
そのせいか、今日の劇も自分からすると無駄で、舞台の邪魔とも思える拍手や、手拍子があった。価値観の差異なのだろうが、どうしてああも親しみやすくなってしまい、安っぽい空気になってしまうのだろうと、傲慢な視点を持ってしまう。
老いを扱った劇で、日頃の感想などが頭にのぼってきた。自分が年をとっても、同じようになるのだろう。子供の時、大人になっても今の気持ちは忘れないと信じていたのに、何一つ覚えていないように。
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