1月20日(日) 広島市西区草津南にある109シネマズ広島でMETライブビューイング「マーニー」を観る。

広島市西区草津南にある109シネマズ広島でMETライブビューイング「マーニー」を観る。


作曲:ニコ・ミューリー

指揮:ロバート・スパーノ

演出:マイケル・メイヤー

出演:イザベル・レナード、クリストファー・モルトマン、イェスティン・デイヴィーズ、ジャニス・ケリー、デニース・グレイヴス


原作はウィンストン・グレアムの小説で、ヒッチコックが映画にしたことがあるらしい。読んだことも観たことがないので、何の先入観もなく観ることができた。


ライブビューイングで観た前3作品に比べると、舞台装置は大掛かりではない。プロジェクションマッピングを使い、対象となる背景装置としての板が動き、区切られることなく場面が移っていく。それに事務机や金庫、ベッドなどの装置が自然に入れ替わっていき、自然な流れで物語は進行していく。


現代音楽について造詣が深ければ、ニコ・ミューリーさんの音楽に多くの要素をみることができるだろうが、自分はスティーブ・ライヒの影響ばかりみてしまった。コオロギなどの虫の音のようなかげろうが、一定のリズムで浮いて消えるようなかんじだ。そればかりではないが、都会的な音楽のイメージだろうか、自然曲線よりも、人工的な線による音のイメージで、より幾何学的な構造で、心理的な色合いの旋律を受けた。オーボエが自然の情景を歌うような詩情ではなく、主人公の盗み癖のある女性マーニーの複雑な性格を表すように、より内面の暗部や、自分でも他人でも暴けない込み入った心理を、心情ではないもっと解剖学的な性格構造で表しているようだ。


1950年代のロンドンが舞台ということだが、音楽からのイメージはニューヨークやシカゴでしかなかった。高層ビルのイメージがそうさせるのだろう。もっと電子的でデジタルなイメージを音楽から感じてしまった。


とはいえ、忙しい会計事務所の作業場面や、印刷会社の場面などには、イギリスを発端とした産業革命からの資本主義と加速する重層的な社会構造があり、音楽はたしかな表現と効果を持っていて、自分の持つ基本情報が偏っているからアメリカを投影するのだろう。


世界を自分の中心に歌う劇的なまでのアリアなどはないが、母親の嘘を発端として形成された女主人公のマーニーの人物像がイザベル・レナードさんによって演じられていて、歌唱よりも、演技と衣装に焦点が絞られた。嘘によって植え付けられた業による性格は、その嘘が発覚されたことにより、キリスト教らしい浄化によって幕が閉じて、再生が開始される。


話は異なるが、再生に関与する兄弟の姿に、トルストイの小説「復活」を思い出した。息子を殺し、派手な生活をやめて神に祈るマーニーの母親の姿や、マーニーの更生に、アメリカに渡ったピューリタンの伝統を感じてしまう。


見どころは、衣装だろう。1950年代のヘアスタイルや衣装は、より細かい知識と言葉を持っている人ならうなるだろう。知識のない自分でも、衣装には目がいった。アイテムの名を知れば、これがこうで、これもこう使われてなどと、分析できるだろうに、言葉を知らないから自分で飲み込むだけで、言いたいことはなにも出てこない。


緊密で、緊張感のある展開に、複雑な人物の構造が、息をつく暇のない現代社会の一端を読み取らせる。もうほどくことのできないこんがらがった社会の歯車として、今を生きる者は、この多様性をそのまま味わいとして飲み込むことができるだろうか。それとも息苦しいと思うだろうか。


単純ではない。本当に複雑な世の中になったのだと、昔のオペラとの比較で知れるだろう。

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