1月20日(日) 広島市中区胡町にある八丁座で「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」を観る。
広島市中区胡町にある八丁座で「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」を観る。
二十代前半、ピアソラがとても好きで、バンドネオンを欲しくてたまらなかった。ちょうど楽器ばかり買い、回収して、まるでコレクターのように色々と集め、どれも満足に弾けやしないのに、音色を聴くだけでも楽しかった。水道橋の楽器屋で中古であり、ヤフーオークションでも出品されていたが、中古の自動車でも買えそうな値段で、結局買いはしなかった。集まった楽器は離散して、無駄な出費だと後悔したが、楽器への理解を深める経験にはなった。
その当時、最も大好きな楽器がバンドネオンで、あのボタン配列と、おもちゃのような箱型から、哀愁と暗さが単調でありながら深みを持って奏でられるのがたまらなく好きだった。アコーディオンはもっとつやがあり、バンドネオンのような玉に聴こえなかった。
最近観た「バルバラ」と違い、ピアソラの楽曲は少なからず知っているので、ピアソラを知りたくてこの映画を観た。タンゴをじかに触れたくて、長期旅行で南米へ行ったならば必ずアルゼンチンに行くつもりが、訪れなかった。ヨーロッパで旅費を使いすぎたからだ。今でも心残りだ。
ピアソラの息子の視点と、父の自伝を書くために娘がインタビューしたピアソラ本人の音声でこの映画は構成されていて、古い映像と合わせてピアソラの成り立ちを知ることができる。
楽曲からエネルギーに溢れた人物像は感じていたが、もっと闘争的で、苦労して功績を残したことを知った。革命的であるがゆえの批判と、母国に受け入れるまでの時間にも、屈服せず、家族を捨て、色々な地を転々として、作曲と演奏に没頭する音楽への偏愛ゆえの足跡が知れる。
ピアソラからタンゴを知ったが、タンゴはピアソラではなく、タンゴではないと否定される苦労が物語られている。
広島の本通りにある浜松ピアノ社にバンドネオンが展示されていて、外からガラス越しに観ることができる。アンティークとなったこの貴重で奇異な楽器から、いつもピアソラの音楽を思い出させる。
タンゴが本分だと自覚して、とにかく音楽を愛した情熱家は、もっとスマートな人物だと思いこんでいたピアソラを修正してくれた。
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