1月14日(月) 広島市中区八丁堀にあるサロンシネマで「運命は踊る」を観る。
広島市中区八丁堀にあるサロンシネマで「運命は踊る」を観る。
2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス 113分 カラー シネスコ
監督・脚本:サミュエル・マオズ
出演:リオール・アシュケナージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ
運命の数奇を扱ったものは昔からあって、「オイディプス王」がまず最初に浮かび、手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」には子供の時からなじみ、最近ではシベリウスの「クレルヴォ」のなかの妹との関係に運命のむごい歯車を感じた。
前半の重苦しい描写に耐えていると、軍のおちどにより親類に安堵は戻るが、一人だけ怒りが爆発する。それは根っこに兆した運命の石ころが少しずつ加熱され、急には冷めず、好転という冷水に対して物凄い音を立てて蒸発させるのに似ている。
なんでこの人はこんなに錯乱しているのか。ストレスを与えたものへの復讐にしては度がすぎる。それはやけにのんびりした検問所の場面をすぎて、理解できる。
運命はいつでも人を魅了するようだ。最初が始まり、元に戻るという単純なめぐりなのに、舞台がイスラエルで、誤報、戦争、ホロコースト、代々伝わる聖書、女性の裸体が表紙の雑誌への交換、誤射、揉み消し、様々な要素が無駄なく関連し合い、数学的な宇宙の規律によって元に戻ると、そこには悲劇であるにしても残酷な調和があり、胸を掴まされる魅力が生まれる。
運命には従うしかない。オルフの「カルミナ・ブラーナ」で壮大に歌われている。人間にはどうもできないので、運命は宗教にとりまかれている。イスラム教が通底する「千夜一夜物語」にも運命はあり、アメリカの「フォレスト・ガンプ」にもある。どこにでも、だれにでもある。
そんな身近な運命を、イスラエルという、まさに運命の民とも思える数奇な歩みをいまだ続けている舞台で扱われると、どうも立ちふさがってしまう。人間の存在ではとても認識できない巨大な存在を前にするように、地球上の人間は、ユダヤ人という不思議な存在を無視できず、把握することもできない。
静かに巡る運命、それでも、それを乗り越えようとする姿が最後に描かれる。それが最も大切なことだ。
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