12月16日(日) 津和野と萩の旅行を振り返る。

津和野と萩の旅行を振り返る。


浜崎をあとにして、前日にハッコニブンノイチで会い、話をした人の展示会が、白いぐい呑を買った菊屋横丁の近く、ギャラリー俥宿天十平であるからと、もし場所がわからなければ人力車に訊けばいいと言われ、場所はわかるだろうから訊かず、人通りから一本外れて、細い道を歩いていると、前から昨日見た人がやってくるので、声をかけると、一緒にカレーを食べて、夏みかんジュースを飲み、どちらも味の印象がなく、あるのはささいな話で、何の話をしたのかもわからないが、庭が見え、古民家を使ったその場所は、たぶん洒落た場所で、虎の威を借る狐のように、カレーと夏みかんが、知り合いだからと無料になりそうだから、そんなのは違うからはらい、ギャラリーへ一緒に歩くと、タピエス、クレー、漆喰の剥がれた黄土に刻まれた土塀の象形文字にとまり、それは公園の土管や、見捨てられた病院の壁などに乱雑に刻まれる、放置されたものにむしのわくのと同じだろうに、これがいい、たしかにいいかもしれない、そんな彼の作品は、バスキアのような色と線で、Tーシャツやカバンは彩られていて、洗濯はどうするのかと考えても、やぼできかず、以前購入したカバンを持った人が来ていて、使い慣れたそのカバンは、新しい作品と異なってなじみ、頑丈に、作品の味わいを広げていた。


たった一ヶ月半で記憶は驚くほど薄れ、帰ってきた次の日はふりかかった香水が強く、トップノートがおさまらず、味気ない職場でも、そこでも、ただのとおりでも香りが記憶をついてやまず、浮ついた記憶が、楽しい、楽しかった、本当に楽しかったと、何度もうなずかせて、では何がと問い、すぐに人が良かった、珍しく、懐かしく、人が良い旅行だった、たったの三日間、見知らぬ人に会い、話したのは何人だったか、地質を教えてくれた人、ギフトを間違えて息を切らせて追いかけてきた人、軽い調子で自転車を貸してくれた人、ぬらりひょんのような妖怪が变化して夜にぬっと出てきた人、暗い夜道の職場で一人残っていた人、おしゃべりガイド、静かなガイド、ちょっと自己卑下なガイド、聡明な白髪ガイド、禿げた演説家、小粋な女将さん、その隣の親切な奥さん、数えあげればいくらでもあげられる印象のなかで、より明確に残っているのが、数人で、るこ、はっこで、忘れたアイポッドを元払いで届けてくれたあの女性や、小躍りしそうに萩を解説してくれたあの男性や、ぴたうまいよと言う細くもぶっといあの男性などで、そのなかでも、自分にとって鮮明な印象を、一ヶ月半で多くが失われ、思い出せもしないなかで、もはや一生残り続けるだろうものを残したのが、常滑のスペイン人アーティストとのやりとりで、なにがそんなにというと、表現の、個性の、その苦しみと迷いについての話がどっしりと残り、羨ましいと、階層の違う羨ましさが、心情を吐露させた。


もうほとんど忘れた。あんなに強い香りだったのにもう残っていない。感傷だってわかず、もはや始めてしまったことの義務感に左右されて、機械的ともいえる家事に成り下がったものだ。生彩を失い、あれほどの情報量は頭からぼたぼたとこぼれてしまった。それでも残るものがある。とげや、かえしがなくても、やわらかく、すっと流れていきそうな形なのに、大きくないのに。


楽しかったのに、正直に楽しかったのだろうかと疑ってしまう。消えた印象の差異が、信じるものを失わせる。

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