11月26日(月) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで広島市民劇場2018年11月例会文学座公演「女の一生」を観た。


広島市民劇場2018年11月例会、文学座公演「女の一生」をJMSアステールプラザ大ホールで観た。


作:森本薫

補訂・演出:戌井一郎

演出補:鵜山仁

出演:赤司まり子、山本郁子、松山愛佳、石川武、大滝寛


市民劇場で初めて劇を見たのが今年の4月例会、劇団東演による「検察官」だ。その時はプロの劇団による公演に感動するばかりで、後日市民劇場の人と話した時に他の劇団の名前で、青年座、文学座などの名があがり、「おそらく知っているだろうけれど」と言われ、「いや、まったく知りません」と答えていた。


それから約半年、文学座も青年座の名も覚え、今回の公演をとても楽しみにしていた。少しは見る目が養われてきただろうか。事前学習にも参加して、主演の山本郁子の素顔を知ることもできた。


舞台を観た率直な感想は、まだ劇を観てきた経験は少ないが、今まで観てきた劇の中でもっとも真面目で、文学的な内容だった。当然広島の団体による劇とは品格が違い、6月例会の加藤健一事務所の「煙が目にしみる」と劇の傾向がやや似ていた。若者が好むようなテンポのよい展開や、軽々しく笑うコメディはなく、派手な踊りやポップな音楽も当然ない。おどけた調子で場を盛り上げるような人間など存在しない、まっすぐに話し合いをする実質のある舞台だった。


トルストイの「アンナ・カレーニナ」を思い出す、大きな時代の流れに生きる人間模様が描かれ、三時間に満たない時間の中に、端的に選ばれた場面が集約して星のように大きく光り、その残光によって前後の時代と人間模様を説得力もって観衆の頭の中に想像で描かれる。見えるのだ、生き生きと、ありありと、間違っているかもしれないが、登場人物の人生の変遷を。


すっきりと、無駄なく重要な主題とエッセンスがつまっているので、誰でも簡単に物語を解釈できる。天涯孤独の身だった山本郁子さん演じる布引けいが堤家に拾われ、忠実に熱心に働き、拾ってくれた義母の恩と、家に対する忠誠、家族となった者への愛、自分の信念など、一つのものを守るのにあまりにも必死に生きてきたから、気づけばあまりにも度を越して人々から理解されず、人は離れて周囲に誰もいなくなるも、それでも自分の人生をどのように思い生きるのか。振り返り、後悔したら、どうなってしまうのか。一度決めたから、その決定に従うのだろうか。どんなにつらくても、自分を捨てて、恩義と愛の為に。


今現在の日本に生きる女性と違う、戦前、戦時中の女性がどのように身を犠牲にして家に一生を捧げていたかを示す一つの例だろうが、当時としては珍しくない、ありふれた生き方だったのかもしれない。


どしっと腰をおろしたような舞台は、当時の空気感を再現した写実的な舞台装置に、細かい小道具の配置、場面毎の見事な衣装替えに、驚くほど緻密に当時の文化と風俗を踏襲した細やかな演技の統合の結果だろう。これが文学座の財産的演目といわれる風格なのかと、存在感の大きさと磨き上げられた芸にのめり込んだ。


上映時間約2時間45分は長さを感じなかった。もう終わってしまうのかと思った。それほど引き込もれ、集中していた。


1階19列の席だったので、役者さんの表情や息遣いはぼやけて見極められなかったが、舞台から離れている分だけ俯瞰してみることになり、舞台そのものが異なった世界として、いわばフィルムの世界のように浮き上がり、演技そのものも映像文化ライブラリーで観る白黒映画のなかの役者さんのような衣装と演技に見えて、はっきりとした錯覚に陥った。


事前学習でお会いした井上郁子さんは、とても誠実で優しく、人々への感謝を常々感じすぎてしまうほど純粋な人で、傲慢なところなども一切なく、このような人がどのように演技するのかと思ったら、さすが主役だけあって、声が大きいだけじゃないからこそはっきりと声は通り、各時代の役柄で声音は明確にその内面を描きだしていて、含みの味わい深さは何度も味わってこそより感じ得られるものだろう。


故杉村春子さんの「女の一生」はどうだっただろうか。おそらく物凄く良かったに違いない。映画のなかで観た杉村春子さんは、クセのある中年女性の役柄が記憶にあるからか、ずけずけと痛いところを、遠回しにもつくような生きの良いぐあいだろうか。


杉村さんの「女の一生」を観たことのある人は、今回の劇をどう思っただろうか。感傷と陶酔という金の綿毛に覆われてしまった記憶の味わいは、新しいものを受けつけないかもしれない。柔軟さを失い、新しさを取り入れにくくなるのが加齢のもっとも顕著な症状の一つだから、今回の劇を、それはそれと受けとることのできる人がいるなら、その人はまだ若さがあるだろう。


あまり若くも歳をとってもいない自分だけれど、過去の事例がないから、そっくりそのまま井上郁子さんの「女の一生」を受け取った。井上郁子さんは杉村春子さんの「女の一生」をやはり気にしていた。以前若かった観衆は、今は年寄りになり、いずれ消えてしまうのだ。過去を気にしていても、どうせ今は過去になってしまうのだから、あんまり気にする必要はないのかもしれない。いずれ、誰も杉村春子さんの「女の一生」を覚えている人はいなくなり、古くなった井上郁子さんの「女の一生」で新しい誰かの「女の一生」を見比べ、その先には、井上郁子さんの「女の一生」を覚えている人も誰一人いなくなるだろう。


良い舞台だったから、井上郁子さんにはこの調子で長く続けて行ってほしい。自分の生きている間は、井上郁子さんの「女の一生」を礎に、人柄にも惹かれたから、贔屓目に、かつ公正に偏っていたい。

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