11月10日(土) 広島市映像文化ライブラリーでカミラ・アンディニ監督の「鏡は嘘をつかない」を観た。
広島市映像文化ライブラリーでカミラ・アンディニ監督の「鏡は嘘をつかない」を観た。
この映画は素晴らしく美しい。何をどう美しく思うかは人それぞれだが、表情、動作、感情、編集、構図、多くの点で魅了された。常に美しいのが、海と人だ。
白い砂浜、青い海、蒼い空、言葉にすれば陳腐な並びになるが、映像となると自身を構成する細胞の原始の記憶にまで飛び込んでくる。南の島の景色を、天国みたい、と説明するのを見たり聞いたりしたことがあり、今さらその意味を、実際の景色ではなくスクリーンの中で実感した。
天国は空と水でできているのかもしれない。宇宙へ近づくほど天国に近く、水に潜れば潜るほど天国になる。どちらも深く沈み、色は鮮やかに、濃く薄れ、暗く染まっていく。
マーラーの交響曲第4番の第4楽章で天上の生活が歌われ、その歌詞を知った時に、もともと大好きだったこの曲が心の中に完全な形と意味を備えた幸福に満たされて、素晴らしい、素晴らしいとイメージされた緑豊かな天国と哀惜が描かれた。
そんな天国とは違うかもしれないが、この映画で感じた天国も同じ天国なのだろう。宗教はそれぞれ違っても、教義の根本は同じ神であるという考え方と同じように、天国の本質は同じなのかもしれない。
水中に潜れば、純粋に磨かれた造形の珊瑚が居並び、綺麗で可愛い魚がおどけて体を翻し、海面を見上げれば、太陽がまばゆく、豊かな魚がそれぞれ自由に体を揺らして泳いでいる姿は、マーラーの曲に歌われる姿が言葉を違えて表されている。そこには音の消失した天上の音楽が流れ、澄み切っており、時と記憶にたっぷり満たされた海によって、遠いからこそ静かな悠久の生命の記憶を辿るようだ。
天国とは根本であり、それは生まれる前にあった場所で、死後に必ず戻る場所への、涙を超えた懐かしさとせつなさの場所なのだろう。
自分は自然が好きだ。そこにはいつだって天国のかけらが潜んでいるような気がする。煌めく日差し、照り映える色彩、刻一刻と形を変える雄大な雲、抜ける青空、香りを持った土、そんな自然の純然たる巨大な姿の統合によって人は天国を感じやすくなるだけかもしれない。純粋が、真に迫りやすくさせてくれる。
海に消えた父親にまつわる母と娘、その場所にやってきた若い男にまつわる女と女、そこに歳の足らぬ無力だからこそ力になれる男の子、移ろうそれぞれの感情に、静かに漕がれる舟、満ちては引く家屋の下の海、波に煌めく陽光、透ける海面、一定のリズムでフィルムは流れて、最後は海に溶けていく。
鏡は風にはためいて反射を無数に散らせる。それは波間の輝きのように目を鋭く刺し、星のようにまばゆき、心をざわつかせる。
海がすべてだと、ただただ明滅していくように、映画と共に意識は消失していくように思われた。あらゆる記憶を反射させて、沈んでいくようにだ。
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