10月27日(土) 萩の8 1/2(ハッコニブンノイチ)で飲む。

萩の8 1/2(ハッコニブンノイチ)で飲む。


金太郎、とん平焼きを食べて宿に戻り、ちょんまげビールを飲みながら宿の人、地元の人と会話していたら、イスラエルの料理を食べられる店があると教えてくれた。少し変わった店と言われ、変わっていない人だったらイスラエルの料理は出さないだろうと思い、宿を出てそこへ向かった。


田町商店街アーケードを西に向かう。昼間は、「ハロウィンたまち&結まつり2018」がたまたま行われていて、地元の人の話では珍しく人々で溢れていたらしいが、普段を知らない自分は、賑わった商店街だと、昼の採光の明るい道を気分良く歩いていた。


しかし夜になるとやはり静かだ。夜のアーケードが自分は好きだ。活動はおさまり、道の端に酔っ払いが寝そべるのが似合い、また、酔っ払た人が大声で会話したり、じゃれあったりするのが響きわたる。それを閉じたシャッターが世間の人々のように無言の沈黙を守り、昼ならば商品に開く店は手がかりさえなく、看板だけがその店の存在を証明するものの、フォントだけではうかがいしれない。冷めきった空間が漂い、夏ならば暑さで不気味に蒸れ、冬は寒さがつのってしめやかになる、そんなアーケードは酔った状態をもっとも歓迎してくれる。


アーケードを抜けて、教えてもらったあたりに着く。予想通りの店だ。昼間、自転車をこぐのをとめて、店の写真を撮っていた。レゲエか、ジャズか、音楽とアートの香りが活発に溢れ出したまともでない店構えが、そこを通る誰の目にもとまるだろう。こんな存在感は萩でなくても、どんな土地でも異様にうつる。


酔いに任せて扉を開けて入ると、店内は広くなく、人で溢れている。活発に飲みかわされた場所に放りこまれたようで、もちろん自分から進んでこの店に入ったのに、受動的な言葉で言い表したくなるほど、空間の差異が自分自身を包み込んだ。


片手と、数本の指で数えられる人が、一斉に関心を注ぐ。そりゃそうだ。タバコ臭くないのに、煙が漂うような店内は、深海に潜り、たまたま箱を見つけたので開けたら、竜宮城が姿をあらわした感覚で、変わった店だと教えられたとおり、予想をそっくりそのまま額縁にはめてもらったのだが、あまりにも順調だったので、たじろぎそうになった。


とはいえ、酔いがもっとも心強い味方として自分のまわりをしつこくたむろしていたので、「イスラエル料理を食べられると聞いたので、ここへ来た」とはっきり伝えると、マスターに、今日は展覧会のオープニングセレモリーが続いているので、ないと言われる。


そのまま出るのももったいないので、カウンター席をあけてもらい、イスラエルの写真集を見ながら、とりあえず蒸留酒を飲んだ。


それから自然と会話が始まり、会話と会話はつながって、酒の潤滑となり、とぐろを巻き、気づけば溶け込んでいた。鎌倉の店、萩の店、オーナー、サーフィン、日本海、釣り、提灯、イスラエル、陶芸、西東京、移住、額縁、などなどのキーワードを主題とした話が、地元の人間、移住者、出張者などとかわされ、ある者は帰り、気づけば、自分を含めた残りの五本指の人で冗談よりも、真剣な話でテーブルを中心に飛び交わしていた。


なによりもこの時間が、この旅行でもっとも楽しかった。それぞれ思い出深い場面が頭に展示されているが、ここだけは色彩と音楽が生彩を放ち、恍惚とした香りと人生の深みは呼吸して、いつまでも余韻は記憶に巣食ったのだ。ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」を思い出し、あの劇中に登場する性別の中間に存在する美の象徴が実際に目の前に現れたら、はたしてどんな感情を抱くのだろうかという疑問を口にしたのは、美、美について、決して普段の職場では、一週間さきの人類の滅亡よりも低い確率で起こり得る話題が、自分の頭の中でなく、実際に会話として成り立つという僥倖に、親しんだつもりの音楽と絵画が感覚を埋めた。マーラーと、シーレ、ユーゲント・シュティールの耽美的な模様が会話を形作り、話がさらに発展すると、とまらない、さえぎらない、むしされない。楽しいのだ。蛇の髪の毛と固まった眼光が白く喜んでいるのが見えた。


よそ者の、卸売業の雇われが、自立した人々の中で話しをするのは僭越だろう。一体何者だろうか。それでも良いのだと思う。薄っぺらな言葉を口にして。


おひらきになり、冷たいアーケードを戻る。これが帰りにはいつもある。暗く、静かな、孤独の死の片鱗が。外交的な人は、人々の中でエネルギーを蓄え、内向的な人は、人々の中でエネルギーを消耗する。疑いなく、きわめて自分は後者に属する。騒ぎは自分を削るようで、幕間のようなトイレの時間に、深呼吸するのと同じ回復を得る。一瞬冷静に戻った頭が、いつも遠い将来を予期して、薄っぺらいフィルムの一場面にあることを自覚して、恐れる。それを好物とするのが、内向的な人間の悪癖だろう。


祭りよりも、祭りの後がいつも心にささる。誰かに言われた、ただ酔っていたいだけのナルシスト、それがいつも自分の身を侵している。


誰かと酔ったって、1人で酔ったって、酔うことには変わらず、良いも悪いもなく、ただ基準と価値が違うだけだろう、なのに、この時は、本当に珍しく、誰かとよってなにかを得たような気がした。


珍しいから、いつまでも思い出し、考え続けて、感傷にふける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る