10月27日(土) 萩のお好み焼き屋「萩侍」でつまむ。

萩のお好み焼き屋「萩侍」でつまむ。


宿で色々と情報を教えてくれた人から、「どこから来たのですか?」と訊ねられ、「広島です」と答えたら、広島の三原出身の人が営業しているお好み焼き屋があると教えてくれた。


今回の旅行で、「どこからですか?」と何度訊ねられただろうか。二桁まではいかないが、著名人の旧宅ではガイドさんが必ず訊くので、そのたびに「広島です」と答えつつ(実際は広島の人ではありません、移り住んだのは二年前で、広島弁もろくに話せず、まったくカープファンではありません)などと頭の中で弁解して、まるで嘘をついているような後ろめたさを感じていた。実際、バックボーンは関東にあり、たかが2年弱広島に住んだだけで、広島らしさを自分は持たない。デオデオも知らなければ、当然、第一産業も知らない。500円のお好み焼きも見たことない、強いカープを応援するカープファンしか知らない。


ところがおかしなことに、この教えてくれた人はお好み焼きのことを“広島焼き”と言っていて、そこがやけに引っかかってしまった。広島の人は、“広島風お好み焼き”や、“広島焼き”と言われると黙ってはいられないと聞いたことがあり、そんなことはどうでもいいと自分は思っていたが、実際に“広島焼き”と言われると(広島焼きじゃなくて、お好み焼きですよ)と頭の中で反論する自分がいた。これは驚きだ。たかが2年弱しか住んでいないのに、“広島焼き”という言葉に対して、反論するような出来すぎた考えが頭によぎるとは。すでに自分の中で、お好み焼きといえば、お好み焼きでしかなく、麺が入っているのが基本で、かき混ぜるお好み焼きのことをわざわざ、“大阪風”と呼称している自分がいたことを思い出した。


「へえぇ、萩にも広島のお好み焼きがあるんですね」などと相槌をうちながら、(萩に来ているのにわざわざ広島のお好み焼きを食べるような酔狂な真似はしない)と考えていた。


しかし、金太郎だけを食べて小料理屋を出てしまったあと、腹が減って仕方がない。主食となる穀物が欲しい。


空きっ腹で日本酒を入れてしまったので、先鋭な酔いにまわり、町中を徘徊する。コンビニのおにぎりやパンを考えたが、せっかく萩まで来てそんなものを食べるのは、自分を貶めるだけだ。


ふらふら歩いていると、教えてもらったお好み焼き屋がある。見事なタイミングだ。


中に入ると、客はおらず、静かな店内に男前の店主さんがいる。エレベーター内で誰かと一緒になるような空気感に近いものを感じる。男というものは、時に会話よりも、あえて無言を貫き通す気振りがある。


とはいえ、日常と異なり、会話をしたがっている自分は、お好み焼きではなく、とん平焼きを頼んでから(ここで、わざわざ萩に来てお好み焼きを頼むものか、という、慎ましい、無意味ともいえる言い訳がこのような注文を選んだ)、店主さんに侍について訊ねた。少し前に模擬刀をもらった時に、刀の扱い方を聞いたので、この店主さんからも殺陣についての趣味やこだわりを聞けると思った。話は、バーベキューをするために小枝に火を付け、木に火を移すのに失敗するように、あまりに冷え切った店内の雰囲気に鎮火して、失敗した。


黒板を見ると、スマック入りの日本酒というメニューがあり、これがとても気になった。鶏のせせりを追加注文して、めげずに口火を切った。


「珍しい、スマックと日本酒を合わせるなんて、どうしてこんなアイデアが浮かんだんですか?」


「三原では昔からスマックを作っていて、いくつかのところは作るのをやめてしまったんですが、三原だけはまだ作っていて、これをぜひ広めたいと思っているんですよ」


「ええっ! 三原では昔からスマックを作っているんですか!」


(まさか日本でスマックを作っているところがあるとは、ちょっと信じがたい、これは驚きだ)


自分にとってスマックというのは、中東の調味料で、ある人にいわせると“ゆかり”のような紫蘇の酸っぱさに近い味があり、紫蘇はシソ科シソ属の植物の葉を乾燥させているが、スマックはウルシ科の植物の果実を乾燥して作るそうで、風味は似ていても植物の種類がそもそも違っている。そんなスマックを広島の三原、こんな身近ではないが、近いところで作っているなんて、嬉しい驚きだ。可能性を感じる。


「それはすごい、スマックといえば酸っぱいじゃないですか、それを日本酒に合わせるとどうなるんでしょうか……、面白いですねぇ、日本酒に梅干しを合わせるようなかんじですかね?」


「んっ、……わりと甘いというか、カルピスの味というか、そんなかんじですかね……、よければスマックがあるので見ますか?」


「?……、ええ、見せてください」


と、店主さんが持ってきたのは、緑の小瓶に入った飲み物で、自分の思い描いたスマックとは似てもつかない別の物だった。粉末ではなく、液体だ。


昭和45年から製造されているらしい、スマックという自分よりも10年近く前に生まれた息の長い炭酸飲料水だ。


萩の“広島焼き”、三原の“スマック”、どちらもいただかなかったが、自分の知っている常識をふいに突きつけられ、それが自分のアイデンティティの一部を証明させるきっかけとなる。勘違いが、萩の土地でいかに生まれ育った土地の愛着を長生きさせようかという思いを発見させるが、へんてこなことになる。


とん平焼きとせせりは美味しかったから味わうことなく一気に平らげてしまい、飲んだ焼酎がさらに酔いを動かして、緑に詰められた白いスマックと、グリーンサラダを引き立てる妖艶な紫のスマックがはっきりと分断されて、頭は朦朧となるばかりだった。


結局、広島に2年弱住めば、すこしは広島の人らしくなるのかもしれない。住んで1年は馴染もうとして、住んで2年となれば反抗しようとする。そのあとはどうなるか? あきらめるのか。


長く付き合えば付き合うほど、良いところも、悪いところもみえてきて、新鮮な気持ちは薄れ、飽き、悪態をつき、愛着は湧いてくるだろう。


自分は関東の人間だ。おそらく、おごりとさびしさが広島を突き放そうとする。ただの反抗期みたいなもので、いずれやむか。

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