10月27日(土) 萩の「萩ゲストハウスruco」に泊まる。

萩の「萩ゲストハウスruco」に泊まる。


つい最近までは、泊まる宿などどこでもいい、安ければどんなところでもいい。そんな考えを持っていたので、去年いくつか日本の観光地を旅行した時は、漫画喫茶に泊まっていた。安い、チェックインとチェックアウトが早い、予約の必要がない、などと柔軟性を目安に泊まっていた。気が変わり旅程を急に変更する時に、予約した宿があると固定されてしまう。1人旅行の最大の利点は、フットワークの軽さにある。とにかく思うまま自由に行動できるのだ。


しかし、鹿児島に旅行した時に、泊まった宿で地元の若者と飲み、また鎌倉の宿に泊まった時も旅行者と話をして、とても楽しかったのを覚えている。ふと、旅行の楽しみを、吝い考え方で無駄にしていると気がついた。漫画喫茶では、せっかく別の土地にいるのに、最大の情報源となる人との会話が得られないではないか。


いまさらそんなことに気づいたのか。長期旅行では、新鮮な旅行者の気持ちを失い、偏屈に、傲慢になってしまうので、わざわざ宿にいる誰かと繋がろうという気にならず、むしろプライベートな時間を欲するようになっていた。その名残がいまだあるのか、プライベートばかりな日常を逃れるのに、なぜ旅先でプライベートを望むのか、おかしなことだ。


そんなわけで、萩で有名な宿に泊まった。すこし前なら、こういう洒落た宿は好きではなく、「みんなで仲良くなろうぜ!」や、「パーティーしようぜ!」みたいな雰囲気に馴染めず、必ず斜めにみていた。


ところがこの宿は雰囲気が良い。まずスタッフさんがとても親切だった。ウェルカムな人柄がぷんぷん出ていて、応対してくれた女性は、一日孤独に浸りきって顔面を硬直させて声の出ていない自分に対し、「どこから来たんですか」、「萩は初めてですか」と、ありきたりといえばありきたりのことで声をかけてくれて、こちらに会話の手を差し伸べ、緊張をほぐしてくれる。


それから丁寧に宿のシステムを説明してくれてから、色々と情報を欲しがってカウンター付近をうろうろしている自分に、「すこし待ってくださいね」と別の仕事をしながら注意を忘れず、すこししてから、萩の魚料理が食べられるところはないか、という自分の質問に対して、真剣に考えて3件の店を紹介してくれた。


ときおり自宅に泊まりに来る海外のゲストに対して、観光地やおすすめの店などを紹介するのが好きな自分は、スタッフさんの行為は宿に携わる人間として当然だと思いながら、こんなにも有益で助かるものだと改めて思い知った。津和野の夜は人が恋しかった。それもあるから、誰かと会話したくてしかたなかった。そんな気配を察してくれているのか、それともただの仕事か、カウンター前の大きいテーブルに着いていた自分に、宿のオーナーらしき爽やかな男の人が、萩に住んでいて、たまたま遊びにきていた人達を紹介してくれた。自分は貪るように萩の情報をその人達から手に入れ、決めきれていなかった次の日の観光旅程をたやすく埋めることができた。


夕食を食べて戻ったあとも、酔っ払って話したがる自分はカウンターにへばりつき、ちょんまげビールを飲みながら、あれこれ話をした。その時に、萩で生まれ育った男の人と話をすることになり、萩の人は吉田松陰のことを「松陰先生」と呼ぶ傾向があるとか、萩の歴史と地質の話や、明倫学舎に登校していたことや、自分が感じた指月公園から東へ戻る道の風景が素晴らしかったことを話すと、共感をもらえるなど、冗談などで楽しむ会話ではなく、薀蓄や説明などの堅苦しい話で時間を過ごすことが出来た。


その人の話では、このゲストハウスはある意味現代の松下村塾のようで、ここにくれば新鮮な話や、なにやら面白い事に会える場となっており、萩に住んでいる好奇心と社交性を待った人々と、旅行者がうまい具合に交流する雰囲気が出来上がっていると言っていた。


たしかにその雰囲気は強く感じた。働いているスタッフさんや、萩に住みここに遊びにきている人、県外から頻繁に遊びに来る人、多くが萩生まれの人ではない。関東や近畿地方、また九州の人だった。地元でない人が地元を盛り上げる、この宿と萩の雰囲気は、若々しく、広島でいう尾道のような雰囲気と少し似ていると感じた。


宿一つでこんなにも旅行の印象が変わるらしい。オモイデハニッポンノヒト、という広告を耳にするが、間違ってはいない。思い出は風景の自分が、今回は萩の人が思い出になったのだ。人とつながり続けるのが大の苦手で、ある時を境に社交と継続に力を一切注がず、断ち切ったと言っても過言ではないほどに偏屈に陥り、いまだそれは変わっていないが、ほんのすこしだけ元に戻ったのではないかと思った。


やっぱり人と話しをするのは楽しい。ただし、話の合う人に限ったことだ。こんな考えをいまだ保持しているのだから、狭量で、相手を見ない自分が引き続き生活していくのだろう。これは性分で簡単には変わりようがなく、歳を経てはさらに困難になっていく。


一期一会に重点を置き、つながり続けるよりも、その場での出会いと楽しみを味わい、次は二度とないくらいにさっぱりと別れるのが好みだ。潔く、後腐れもなく、その場面を大切する心が働く。


萩で出会った人達の誰も連絡先は知らない。でも自分の中には、萩で出会った人々の思い出が残り続けている。SNSでつながる有益な関係は、それはそれで良い。けれど、化石ともいえるクラシックな考え方で、時代錯誤の一期一会に味わいを求めても、そう悪いことではないだろう。

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